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■ひとマチ点描■あの艦隊から42年

2007年4月11日付け

 「夢のうちに過ぎましたよ」――。1965年8月31日、戦後はじめてとなる日本の海上自衛隊練習艦隊がサントス港に寄港した。「あさづき」「てるづき」「むらさめ」「ゆうだち」の4隻、1200人の隊員を迎えようと、この日、3万人に上る在伯日系人が埠頭に足を運んだことを覚えている人も多いだろう。
 「埠頭に人がいっぱいいて、すごい歓迎でした」――。「むらさめ」の乗員だった辻松一さん(65)は、サントス、サンパウロ市で過ごした3日間を「夢のうちに過ぎました」と振り返る。練習艦隊の寄港は1922年以来、43年ぶり。戦中、戦後の混乱が落ち着いたブラジル日系社会は、母国の船をどのような思いで迎えただろうか。
 そしてこの時、一つの出会いがあった。当時三尉の辻さんと、出迎えた二世の広島智子さん。二人は1年余の文通を経てめでたく結婚。当時の邦字紙でも「練習艦隊が結んだロマンス」(パウリスタ新聞)と大きく扱われた。智子さんは67年1月に訪日。父、正さんと2人、船で四十日かけての「お嫁入り」だった。
 日本からの花嫁移住が続いていた時代に、それとは逆に日本へ渡った智子さん。「あの頃日本にはブラジル人はいませんでしたね。日本語は話していたけど、完璧じゃなかったし、最初は戸惑いましたよ」と、決して順風満帆ということでもなかったようだ。
 それから40年。30万人のブラジル人が日本で暮らす現在の姿を「想像もつかなかった」と一言。図らずも在日ブラジル人コミュニティの「先駆者」となった智子さんだが、現在では小中学校の子供や、大人たちに日本語を教えるボランティアなどにも携わっているという。
 辻さんは10年ほど前に退官。このほど近郊都市に暮らす智子さんの母親、家族に会うため夫妻で里帰りした。辻さんの持病の治療のため訪れたサンパウロ市内の病院で、智子さんは、「転勤は多かったけど、友達はたくさんできたし、楽しい40年でしたよ」と笑顔で話した。 (ま)

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