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援協福祉センターに7万レ=宝田さん=生活つましく、心は錦

2007年8月4日付け

 「うちに置いてたら盗られるから」――。
 ほんとか冗談か知らないが、そう話してこともなげに七万レアルもの大金を寄付。「ほんとに頭が下がる。あの人はコロニアの宝だ」と菊地義治・サンパウロ日伯援護協会副会長に言わしめるのは、宝田豊造さん(87、東京)。
 援護協会が創立五十年を記念し、建設を計画している「福祉センター」に先週第一号の寄付金五万レアルを届けたのは既報(二十八日本紙)の通り。
 その一週間後の二十三日午後、さらに二万レアルの小切手を持参、菊地副会長に手渡した。なお昨年は六十グラムの金を寄付している。
 日伯友好病院建設のさい、十四キロ半の金塊、一万六千ドルをポンと寄付した人物だといえば、ご記憶の方もいるのではないだろうか。
 宝田さんは一九二九年、八歳で両親と兄弟五人とともにジャルジノーポリス市のサン・ジョン耕地のカフェザールに入った。
 「砂ビッショにやられたり、一通りのことはありましたよ」
 三四年出聖。ネズミ捕りや卵入れなども売る金網店に勤務した。店主が店舗拡大に失敗し、宝田さんが店を譲り受けることになったが、「座ってると居眠りしてしまう」と転職、歯科医療器具の販売員に。以来、米寿を前にした現在も現役で働く。
 援協の会員だが、「お世話になることはほぼない。歩くから健康」と屈託ない。
 サンパウロ市ブラス区に一人で住む。家族はいない。「結婚はしませんでした。面倒くさくてね」。背広はほつれが目立ち、革の鞄も年季もの。家には電話も置かず、読書が趣味のつましい生活のなか、コツコツ貯めたお金は、まさに浄財だ。
 宝田さんの寄付は個人としては、過去最高。
 菊地副会長は、「病院建設のさいも宝田さんの寄付が呼び水になった。今回も一番に寄付してくれた。しっかりやっていきたい」と表情を引き締めながら、宝田さんの毅然とした後ろ姿を見送っていた。

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