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マクロビ普及に生涯賭ける=菊池富美雄さん、州議会で表彰=「万病は口から、食べ物は薬」

自分でデザインしたマークを見せる菊池さん

自分でデザインしたマークを見せる菊池さん

 マクロビ普及に生涯賭ける菊池富美雄さん(90、栃木県)が90歳になった顕彰と、妻信子さんとのダイアモンド婚を記念して、カルロス・ジアナジ聖州議の発議で、15日午後7時から州議会ジョゼ・ボニファシオ講堂で顕彰式典が行われることになった。

 栃木県で1925年12月に生まれ、学徒出陣し、「陸軍に所属して満州で戦い、左足を機関銃で撃たれて負傷した。だから戦後、平和運動に邁進した」と振りかえる。
 「戦後、日本中が絶望している中、パール博士(東京裁判の判事11人のなかで唯一、被告全員無罪の判断を下した人物)の講演を東大安田講堂に聞きに行き、心から感動した」。平和運動と共に正食運動を広めるために、日本の食協会の代表としてブラジルに1955年に移住。「最初の3年間は社会の見分を広めるためにサンパウロ新聞で記者をした」。
 その後は一貫して、健康食レストラン兼正食道場を経営し、全伯を講演して回る。「万病は口から。最高の薬は食べ物だ」と主張し、玄米菜食を基本とした健康法「マクロビオティック」(以下、マクロビ)の指導をする。病人には「食箋(しょくせん)」という薬代わりの食事メニューを書いて出す。
 65年にマイリポラン市に生涯教育国際センター「ヴィタリシア」を設立し、毎月の体験研修を実施している。「毎月100人ぐらい、毎年1度の国際セミナー時は200人ぐらい集まる。PT創立者の一人、具志堅スイスの食事療法世話もした。それ以来、彼はよくセンターに来て体験談を語ってくれた」と振りかえる。ルーラにも食箋を出した。
 国際的に有名なMPB歌手ジルベルト・ジルも「彼は喉に腫瘍ができたことあり、私が食箋を50年来出している。彼の娘イザベラはうちで勉強していった」と言う。
 どうやってポ語講演ができるまでに言葉を勉強したのかと尋ねると、「ただ慣れた。キチンと習ったことは一度もない」とひと言。今までに60冊近いポ語著作がある一般社会の有名人だ。
 「その時、その土地にあるものを食べる日本古来の食べ方が、自然の法則にのっとった食べ方」として季節外れに輸入食品を食べない。多くのミネラルを含む玄米を完全食とみなし、「白砂糖は中毒性のある麻薬。血流の悪化や酸性化、免疫力の低下、やる気減退、色々な病気を引き起こす」と警告を発する。
 文協創立会員でもあり、「創立者の山本喜誉司の食事指導もしたが、彼はタバコを吸うから肺ガンになり、その習慣をやめられなかった。臨終の際にも立ち会った。山本さんは『菊池さん、最後に一服だけさせてくれ』と言って、吸ったと思ったらそのまま死んだ」と振りかえる。
 南伯組合中央会の理事長・中沢源一郎さんが腎臓を患っていた関係から相談を受け、「当時、玄米を入手するのが困難だった。中沢さんに食の指導をするうちに、『それなら組合で玄米を作る。組合の食堂を玄米にする』という話になった」という。
 「日本移民がいろいろな種を持ち込んだおかげで、野菜の種類は一気に増え選択肢が広がった。これは移民による社会の健康問題への大貢献」と声を大にする。
 かつて、リベルダーデ広場の現家電店カーザス・バイアにレストランを構えていた。「あの頃は一度に500人が入れた。メトロ建設でホコリが酷く、74年に辞めた。その後、ブラデスコ銀行創立家族から不動産をもらい、74年からサトリを始めた」。
 聖市リベルダーデ広場から近いカルロス・ゴメス広場60番地。ただの住居ビルかと見間違える古いビルの1階に、栄養専門学校「サトリ」はある。妻信子さんを中心に毎朝そこで実技講習が行われ、昼はレストランとして「生命力を回復する食事」を提供。付近の法曹界や大学関係の白人インテリ客らで賑わう。
 菊池さんは言う。「食べたいものを食べるのは欲望食、必要なものを食べるのが基本食。保存料や着色料、香料なんて添加物はインチキ食品」と一刀両断する。
 ついつい食べ過ぎ、脂肪分のとりすぎに陥りがちな高カロリー加工食品群が日常に溢れている。「人間はもともと自分の体質にあった必要最小の食事量を見極める『体との対話』が出来た。現代人はそれを失ってしまった」。いかにそれを回復し、医者に頼らず健康な人生を送るか―菊池さんの闘いはまだまだ続く。

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