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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第10回》=複雑な高知人の県民性=南伯・中沢も肌合い異なる

プレ百周年特別企画

2007年10月9日付け

ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組
新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年
連載《第10回》=複雑な高知人の県民性=南伯・中沢も肌合い異なる
外山 脩(フリー・ジャーナリスト)

 ところで、これは、また、さる人の説であるが、高知県人は同郷人の悪口を言い、足も引っ張るが、「外部に対しては結束する」という。そういう県民性も持っていると……。
 そういえば、筆者がX老人と話していたとき、何気なく下元批判説を口にすると、老人、突如、豹変した。それまで下元をボロクソに言っていたのが、急に評価し始めたのである。
 筆者が口にした下元批判説とは、前出の久保勢郎の「コチア創業の最大の功労者は村上誠基であって、下元は、その他協力者の一人に過ぎない」という部分である。
 筆者が久保の名前を出さず「こういう説もあるが……」と話し始めると「そんな事はない」と否定、やはり下元の功績が大きいという意味のことを言い、「ワシの人生で最も影響を受けた一人」などと持ち上げる。
 (なんだ、これは…!)と、筆者はアッケにとられたが、本人は至極自然な表情をしている。当人の内部では矛盾はない様子である。
 どうやら、同郷人の自分が下元を批判するのは構わないが、他県人がするなら庇う、ということらしい。
 複雑な県民性である。
 アンチ下元派の論は、こういう県民性を計算に入れて読み聞く必要がある、と悟った。
     ◎
 そういう視点から見ると、中沢源一郎の下元健吉論など、まことに味わい深い。
 中沢も高知県人で、日系の大型農協としてコチアとともに最後まで残り、共に消えたスール・ブラジルの理事長を務めた。
 ただ事業規模では、スールは大きく差をつけられ、終始、コチアの十分の一くらいであった。
 中沢は下元より九歳ほど若かったが、戦前から戦中、戦後と、いわば同時代を生きた人である。
 その中沢が下元を毛嫌いしていたという説がある。もっとも、下元も中沢に対して同様だったそうである。
 元コチアの職員・志村啓夫氏、この人も九十歳を越しているが、至極達者そうで、その話によると、二人の仲には古くからの因縁があったという。古くというのは、戦前のことで、一九三〇年代後半の頃と思われるが、
「スールの前身のジュケリー農産に内紛が続き、下元が、その仲裁に出かけた。その折、揉ましている張本人が中沢だと見て、怒鳴りつけた。中沢は、それを根に持ち続けた。
 これは、下元本人から聞いた。下元は『中沢の野郎が……』という口調だった。対して中沢が下元を『アノ無学の田舎物が……』と罵ったこともあったそうだ。こちらは、何かの印刷物で読んだ。
 中沢は、コチアの成功ケースばかり真似ていたのに、下元を嫌っていた」
 ちなみに中沢は、同じ高知県でも、町の薬種問屋に生まれ東京帝国大学を出ていた。 
 下元とは肌合いが違っていた。
(つづく)

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