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プレ百周年特別企画=ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=外山 脩(フリー・ジャーナリスト)

 日伯交流年(日本移民百周年)開始まであと三カ月あまり。いよいよ歴史的な節目が迫ってきた。日系人がブラジル社会への貢献は多岐や分野にわたるが、とりわけ農業分野においては特筆すべきものである。
 なくなったとはいえ、コチア産業組合はブラジル農業界に大きな足跡を刻んだことに間違いはなく、今も切り離された幾多の地方農協が活発に活動している。まるで熟した果実が樹木から自然に落ち、あちこちに新たな芽を出しているように見えないだろうか。
 農業界の象徴的人物として、本日二十五日に五十周年忌を迎えた下元健吉を取り上げ、外山脩氏に連載「コチア産組=新社会建設=創立者の光と影」を依頼し、明日二十六日付けから第五面で掲載を開始する。
 今連載では、下元を巡る様々な意見を丹念に集め、「アンチ派」「敬遠派」「敬愛派」の三つの角度から、その傑出した人物像を多角的に浮き彫りにし、県人性と組合のあり方などに深くメスを入れた。これを機に、さらに日系人の伯国社会への貢献に光が当たることを期待したい。(編集部)

ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《最終回》=下元死して志受け継がれる=一生を捧げた多くの職員

プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 遠藤さんの話。  「三日間のモイーニョ・ヴェーリョ通いの帰途、いつも親父は疲れているみたいだった。ふと気がつくと、隣にかけている親父が私の方へ寄りかかって来る。見ると居眠りしていた。三日目が終わった翌日、親父は死んだ。  阿部さんは広報の仕事をしていた。当時、コチアは広報のためラジ ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第21回》=畑で作る組合員との関係=本心ではバタタよりカフェ

プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け  下元を成功させた要因には、もう一つ、よく言われるような「運」があった。無論、その運の中には、死に物狂いで働き引き寄せた部分もあったであろう。  しかし、その運も去るときが近づいていた。働きすぎた結果、健康を害したのである。  一九五七年、日本から着いたコチア青年移民でカストロ在住 ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第20回》=一番下の運転手から聞く=誰より詳しい各地の情報

プレ百周年特別企画 2007年10月24日付け  元職員・遠藤健吉さんの話の続き。  「兄の案内で、私はコチアの本部へ行き、下元と会った。挨拶したが、専務理事というようなイメージではなく(イモ親父だな)と思った。それからしばらくして、コチアの農村青年男女講習会があると知ったので参加してみた。そこで親父の〃組合節〃つまりコペラチズ ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第19回》=認識運動の地方会場で護衛=「生きて出られないかも」

プレ百周年特別企画 2007年10月23日付け  栗原章行氏は一九四四年、二十代半ばの頃にコチアに就職した。現在八十代半ばになる。  「私が組合に入ったのは養鶏が盛んになり始めた頃で、組合本部の横の三角地帯に飼料の配合所があり、そこで働いた。結婚のときは下元さんが仲人をしてくれた。  仕事以外の場では、いつもニコニコしていた。土 ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第18回》=家庭では穏やかな一面も=食事も寝る時も猫と一緒

プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け  志村啓夫氏は既に登場した。一九四一年当時、マリリアに居って、地元の組合から事務見習いということで、サンパウロへ派遣された。この人は産青連のメンバーである。  「下元の親父の所へ挨拶に行くと、『おお、そうか。それなら俺の家に下宿しろ』と。一年くらい下元の家に居った。その後、マリリア ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第17回》=派手な恰好の職員を一喝=「組合員は土まみれだ」

プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け  「怒鳴られながらも、彼を親父さんと慕い、身命を賭しても、という気持ちを従業員達に抱かせた」  下元の、こういう魅力が一九三〇年代末からの、産青連運動を成功させ、組合内外に下元を慕う若者を増やした。  その中には、終戦後、テロ旋風が吹き、下元が狙われているという噂を聞くと、その自宅 ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第16回》=コチア拡大の源泉は敬愛派=若者たちは「親父」と慕う

プレ百周年特別企画 2007年10月18日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第16回》=コチア拡大の源泉は敬愛派=若者たちは「親父」と慕う 外山 脩(フリー・ジャーナリスト)   アンチ下元派が居ようが、邦人社会つまりコロニアの指導者たちに敬遠されよ ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞める!」と席立つ

プレ百周年特別企画 2007年10月17日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞める!」と席立つ 外山 脩(フリー・ジャーナリスト)  下元は、パウリスタ新聞の経営にも関わったが、失敗している。  それにふれる ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第14回》=「親父は外では駄目だった」=日本病院をコチアに移管?

 話変わって、下元は戦前の邦人社会、戦後のコロニア指導者の間では敬遠されていたという件であるが。  ──これについては、前項の中沢源一郎の言葉の中にも出てくるが、コチア関係者も、その点は認めている。  戦前、産青連の運動に参加、そこで下元を知り、敬愛者の一人となり、戦後、コチアの役員を何度か務めた北パラナの松原宗孝氏は、「親父は ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第13回》=モジ進出を巡る〃伝説〃=地域拡大戦略の正否問う

プレ百周年特別企画 2007年10月12日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第13回》=モジ進出を巡る〃伝説〃=地域拡大戦略の正否問う 外山 脩(フリー・ジャーナリスト)  下元健吉には、他組合の縄張りを荒らしたという批判もある。前出の久保勢郎なども ...

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