ホーム | 連載 | 2007年 | プレ百周年特別企画=ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=外山 脩(フリー・ジャーナリスト) | ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第1回》=「昔は傑物がいたものだ」=コロニア50年の逸材

ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第1回》=「昔は傑物がいたものだ」=コロニア50年の逸材

プレ百周年特別企画

2007年9月26日付け

 「人物がいない……」。かなり以前からのことであるが、コロニア=日系社会=の人物不在を嘆く声を、しばしば耳にする。その声は概ね、こう続く。「昔は、いたものだが……」。たぶん、決断力と実行力のある指導者に、この社会が飢(かつ)えているのであろう。昔は居た……と言われる人物たちの中で、最も話題性に富むのは、なんといっても、コチア産業組合の下元健吉である。その死に際して、南米銀行の創立者・宮坂国人が「コロニア五十年の歳月を経て、漸く出来上がった人材」と評した傑物である。日本移民百周年を明年に控え、日本移民の農業面でのブラジル社会への貢献を振り返るシンボルの一つとして、没後五十周年を迎えた下元にスポットライトをあてる。その命日は昨日、二十五日だった。人材払拭のコロニアを思いつつ、改めてこの「傑物」に焦点をあててみたい。
 明二〇〇八年、コロニアはその歴史に百年を刻む。この一世紀の間、日本人・日系人(二、三世)が、この国に残した最大の事績は、農業である。
 特に近郊型の作物、つまり野菜(バタタ=馬鈴薯=などの根菜、トマテ、葉野菜)、鶏卵・鶏肉、果実……の今日は、日本人農業者の戦前からの努力の蓄積、そしてノウ・ハウのブラジル人への普及によるところが大きい。
 奥地型の作物の場合、カフェーは戦前、日本人移民の殆どが最初カフェー園に雇用農として入り、独立後は、その栽培からスタートした。生産技術の工夫を始め、少なからぬ貢献をしたといえよう。
 同じく戦前からの綿は、一時期、日本人の生産量が、この国全体の過半を占めたという。
 大豆やミーリョ=玉蜀黍=は一九七〇年代以降、セラード開発により一大産業に成長したが、その開発前線には、何処へ行ってもガウーショ=南大河州人=の農業者と共に日本人・日系人の姿があった。
 この農業振興の推進機関となったのが、昔の産業組合、現在の農業協同組合である。
 コチアは創立以来、この国に生まれた無数の組合の中で、常に最多数の組合員を擁し、最大の事業量を維持した。確かな資料はないが、ラ米全体で見ても、そうであったろう、といわれる。
 一九七〇年代頃までの全盛期、コチアの名は──古風な表現になるが──燦然たる光を放っていた。コロニアにとっては誇りであり、城砦であった。
 この国の農業界では、コチアの名前を知らぬ者は少なく、日本からの訪問者も多くはコチアを視察した。
 (その全盛期を、実は過ぎていたのであるが)最も組織が拡大した一九八〇年代半ば、組合員は一万数千名、従業員は一万名、事業(生産、販売、関連分野)地域はサンパウロ州を中心に、全国に広まり、その事業所=支店=は八十六カ所を数えていた。
 そのほか、生産物の保管・流通用の施設としての大型倉庫、カフェー精選工場、精綿・製麻・製茶工場、果実・野菜の集配センター、予冷庫、販売所……、営農資材の生産用の施設としての肥料・飼料工場、種鶏・孵化場……、生産物の加工用の施設としてのフレンチ・フライ工場、液卵工場……、組合員の生活用品を販売するスーパー、農事試験場などがあり、合計数は二百カ所を越えていた。
 この内、肥料工場は、国内大手の肥料メーカーと並ぶ規模であった。驚くべきことに本格的な紡績工場まで建設中であった。種子、搾油、保険などの分野では子会社を経営していた。
 一方で、アセンタメントつまり近代的な大型営農団地を各地に次々と建設していた。
 地方へ旅行をすると、コチアのマークを大きく記した大型輸送車がハイ・ウエーイを疾走する姿をよくみかけた。地域別に組合員が設立・経営している出荷組合の輸送車である。
 娯楽・スポーツ、保健衛生、外国研修その他の分野に、外郭団体を持ち、農業高校を創立中であった。
 ともかく組合としては、非日系も含めて、他の組合とは桁違いの大きさだった。農業界(含、牧畜)では無論、この国最大の規模であったし、全業種を含めた企業界でも大手であった。
 事業量を金額的に表示することは、当時インフレが激しく、また為替も大混乱状態にあったため難しいし、適当ではない。が、ある経済雑誌は、当時、コチアを国内民間企業二十一位にランク付けしていた。
 このコチアの歴史を、創立以後三十年作った、と言われるのが下元健吉なのである。(奥地型の作物への進出は、下元以後のことになる)今年は、その下元没して五〇年に当たる。命日は九月二十五日である。
 人物払底のコロニアを思いつつ、改めて、この傑物をクローズ・アップしてみる。   (つづく)

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