ホーム | 日系社会ニュース | 後輩が描く上塚周平伝=母校・済々黌顕彰会が出版

後輩が描く上塚周平伝=母校・済々黌顕彰会が出版

ニッケイ新聞 2007年11月08日付け

 【東京支社=藤崎康夫東京支社長】上塚周平と第一回自由移民・香山六郎(元『サンパウロ州新報』社主)両氏の母校、済々黌OBによる顕彰会が、このほど上塚周平伝『海を飛んだキナセン』を出版した。著者江頭隆生氏(61)は、両氏の後輩であると同時に、同校で教鞭をとった教師でもある。みずからの調査と資料に加え、上塚氏が育った家庭や風土、校風などから、その人物像に迫った。
 上塚周平氏は、一八九六(明治二十九)年、済々黌卒業。第五高等学校(現・熊本大学)、東京帝国大学(現・東京大学)を経て皇国殖民会社の現地代理人として第一回移民と共に渡伯した。
 思想家横井小楠門下生で、父は、当時の〃藩〃を越えた思想の持主であった。
 十三歳のとき実学派の流れを汲む熊本英学校に入学。自由欧風の校風の中で国家・政治を論じ成長。この英学校で生涯の友である鳥飼安一や石坂音四郎(後の京都帝国大学教授)と出会う。
 高等学校から帝国大学を目指す周平は、自ら交渉し、「新日本の建設は、人材の育成である」とする佐々友房(政治家)の済々黌に編入学。そして第五高等学校に進み、夏目漱石に学ぶ。「黄色人種は劣等民に非ず。白色をシルバーとするならば、黄色はゴールドなり。銀より金が貴重なるは誰もが知ることであろう……」と漱石一流の揶揄を面白がって聴く周平であった。
 さらに東京帝国大学に進む。そして彼が選んだ生涯は、ブラジル移住への道だった。
 後輩である著者によって、上塚周平研究にとって、貴重な一冊が出版された。

image_print