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「日本の伝統玩具をブラジルに残しませんか」=〃つくる会〃結成呼びかけ=家具製作35年の青島さん=これまでオリジナル35種類=夫婦こけし「寄り添い」がお気に入り

ニッケイ新聞 2007年12月8日付け

 「娯楽を兼ねて一緒に日本の伝統玩具をつくりませんか」――。サンパウロ市リベルダーデ区タマンダレー街の一角にある静岡木工所の工場主・青島翠さん(73)は、以前木工に親しんだ人たちを集めて、日本の伝統玩具や手芸品をつくる会を結成したいと呼びかけている。三十五年間にわたり注文家具の製作を請け負ってきた青島さん。「私らが残さないとブラジルから日本の伝統文化がなくなってしまう」と憂慮している。青島さんがつくる近代こけしなどもあわせて、今の思いを聞いてみた。
 「リベルダーデの日曜市は昔、たくさん日本の伝統的な手芸品が並んでいた。今では日本的なものが減って、日本の価値観が間違って伝えられている」。グループ結成を考えた理由の一つがこれだという。
 青島さんによれば、同日曜市は以前、日系の職人らの作品を並べる場所として賑わっていた。青島さんは「他人の商売にケチをつけてはいけませんが」と前置きした上で、「最近は工場でつくられたような作品が増えて、それが日本の伝統民芸品として紹介されるようになった」と嘆く。
 こうした現状もあり、グループを結成して「本当の日本文化を伝えていきたい」と数年前から考えるようになった。将来的には「みんなの作品をあの市で並べられたら」とも希望を持っている。
 静岡市出身の青島さんは五七年、オランダ船ルイス号で渡伯した。「工場ぐるみ移住」で話題をまいた東海ミシンの技術者として海を渡ってきたが、会社は渡伯一年半ほどで倒産した。
 「当時のブラジル市場は小さかったし、工業化もこれからだった」。十七人の技術者はそれぞれ散り散りなった。今はその内四人がブラジルにいる。造形作家の豊田豊氏もその一人だ。
 青島さんは会社勤めなどを経て、七三年に現在の木工所を開けた。三十五年にわたり、手抜きをしない仕事が評判で客の信用を得てきた。七十歳を越え「そろそろ引退かな」と笑う青島さん。二、三年程前から仕事の合間にこけしを作り始めた。
 こけし作りは丸みを出して木を削るのが最も難しいという。「ノミのあてかたを身に付けるだけでも何十年」と青島さん。木材はブラジル原産のカシェッタ。白く柔らかいのが特徴だ。
 こけしの表情付けも一人で行う。「顔は筆を入れる自分の気持ちがそのまま出る。自分の気持ちが嬉しいとこけしもやさしそうな顔になる」。一つの絵の具が乾くまで次の色が塗れないため、手間もかかる。
 青島さんのこけしは三十五種類。「寄り添い」と名づけた夫婦こけしがお気に入りという。つぶらな瞳で優しくうつむく顔が愛くるしい。金婚式で出席者に渡すプレゼントとして、知り合いから製作を依頼されたのがきっかけだった。
 青島さんのこけしを買う人は日系、非日系と半々。中には全種類を買い揃えている非日系のブラジル人もおり、「新作を期待されている」と笑う。値段は七レアル、大きいものでも二十レアルほどだ。
 日曜日には日曜市近くにある大阪橋でこけしを売っている。「売上げと言ったって、たばこ代くらいにしかならないけど」と青島さんは大笑いする。
 グループができたら「米搗き車」や「板角力」など日本各地の伝統玩具をつくりたいという。会の活動場所は自身の木工所を使ってもらえればという。年季の入った道具を多数揃えている。
 「伝統的な日本の手芸品がこのままブラジルでなくなるのは寂しい。本当の日本の姿をブラジルに残しませんか」。青島さんはそう訴えている。問い合わせは同木工所(電話11・3208・4908)、青島さんの自宅は(同11・3208・1402、夜のみ)。

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