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北パラナ、アサイ市の〃日本人家族〃を訪ねて(1)=二世、三世が「日系」と言わない=ごく普通に「日本人」と表現

ニッケイ新聞 2008年1月17日付け

 滞伯一年半余りの記者は、今年の正月を北パラナのアサイ市で過ごした。サンパウロ市に暮らす知人の日系女性の実家に招かれたのだ。三十五度以上の真夏日が続く中、チラピアとマグロの刺身、シュラスコ、お雑煮、年越しそばを食べ、NHKの紅白歌合戦を楽しみ、そして一家とともに本門仏立宗の寺で新年を迎えた。同市はバストス市などと同じように、一九三〇年代にブラジル拓植組合によって造成された日本人移住地の一つ。コーヒーや棉栽培によって栄え、多くの日本人が暮らし、去っていった街だ。そこにはデカセギや非日系家族が増えるなか、今なお日本の良き風習、価値観を大事にする日本人家族も暮らしている。他の移住地では見られないほどに〃古き良き日本人町〃として形成されたのがアサイかもしれない。そこで過ごした年越しと正月、日本人家族のアイデンティティーに触れるエピソードなどを綴ってみたい。(池田泰久記者)
 アサイ市はサンパウロからバスで八時間ほど。人口は約一万六千人の小さな町だ。以前は日本語の看板が溢れかえり、日系の映画館も七〇年代後半まであったほどの日本人町だったが、近年は非日系家族が増加。日系人の多くもデカセギ、またはその経験者という。
 大晦日午前。真夏日の熱風を扇風機がかき回すなか、一家の居間にあるテレビにNHK紅白歌合戦が映っていた。「紅白は毎年みんな観ているよ」と知人。ビデオで録画して後々でも楽しむのが習慣らしい。
 二世の父親は「いやぁ、最近の紅白は演歌とか日本らしい歌が減ったよね」と笑う。百周年にあわせて演歌歌手・五木ひろし氏の来伯は本当にあるのか、といったことも後日話題になった。父親は演歌が大好きだ。商店の二階には自前のカラオケセットがあるほどで、たまに近郊やサンパウロのカラオケ大会に参加することもある。
 「伍代夏子、長山洋子は知っているかい」。父親から記者は立て続けに質問を受けた。居間にいた父親の子どもたちは三十代だが、「大体の演歌歌手は知っているよ。小さいときから聞かされたしね」と笑った。
 アサイの家族と過ごして気付いたのは、父親を含めて「日系」という表現を誰もが使わないことだった。考えてみれば血縁では、みな純血の日本人なのだ。一般的には日本人は日本で生まれた人、ブラジルで生まれた日本人を日系人と定義するが、二世の父親は自身を含めてこの地の日系人をごく普通に「日本人」と表現した。
 ブラジルで生まれながらも、こうした概念やアイデンティティーが形成される要因は多くあるだろうが、歳末に一家と観た紅白歌合戦も、日本人としての意識形成の一役を担っているではと、ふと感じた。
 つまり、毎年恒例の紅白を楽しむという行為そのものが、多くの〃日本にいる日本人〃との文化的体験を共有するものになり、その象徴的な日本との共通体験の積み重ねが、とくに父親をはじめとした一家の日本に対する心理的距離を縮め、日本人としてのアイデンティティーを育む要因に思えたのだ。
 「日本は遠い国だけど、私たち家族にとってはもっとも身近な国だった。そもそも私は日本に研修に行ったり、サンパウロに住むまで、日系って言葉も使ったこともなかったよ。その意味もよくわからなかったくらい」。
 日系三世の知人がある日、さらっと言った言葉の背景を、真夏の紅白を観ながら考えてしまった。(つづく)

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