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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第2回=レジストロ=みんなで炭鉱節を踊る=「ふる里みたいな雰囲気」

ニッケイ新聞 2008年5月7日付け

 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」。しずかな夕暮れ時、百八人が列になって焼香し、石田広海開教師はおごそかに無量寿経の讃仏偈をとなえた。四月十九日午後五時、ふるさと巡り一行バス三台はレジストロ本派本願寺教会で先亡者追悼法要を行った。
 その後、入植九十周年を記念して二〇〇三年に建設された、和風建築が目をひくレジストロ日伯文化協会会館に一行は移動した。
 約八百平米あり、右手に大サロン、左手には事務室、立派な台所、春秋会室(老人会)、日本語教室、二階には右手に物置、左手に会議室と奥に和太鼓の練習場があった。
 会員は三百二十家族、以前はレジストロ・ベースボールクラブの中に日本人会があったが、入植八十年祭を機に九三年に文協として独立した。
 七月十九日には、リベイラ沿岸日系団体連合会(FENIVAR)と聖南西文化体育連合会(UCES)による合同百周年式典が同地で行われる予定だ。
 午後七時、山村敏明文協元会長が歓迎の挨拶し、長友団長が参加者百八人の内訳として最高齢が九十六歳を先頭に七十歳以上が八十一人、ほとんどが七十歳以上と紹介し、「この土地で日本人がどれだけ評価されているか感じた。この会館も先人の苦闘の成果だ」と語り、与儀昭雄県連会長の挨拶文を代読した。
 佐々木悟ベースボールクラブ会長は、一九二二年ごろ日本人会ができ、戦争中に禁止されたが四七年に同クラブとして再設立された経緯を説明し、「こんなにたくさん来てもらって嬉しい」と歓迎した。
 広報の金子国栄さんは同地の歴史を説明し「寿司祭り、盆踊り、灯籠流しが三大行事。ぜひ遊びにきてください」と呼びかけた。
 清水ルーベンス文協会長は「和太鼓もがんばっている。サンパウロ市百周年式典の千人太鼓にも、うちから四十張り持ち込む。百周年後に会員をどうするかが最大の問題。和太鼓の九割は非日系人、彼らを含めて日本文化を残していかなければ」と説明し、拍手が送られた。約六十人が和太鼓をならっている。
 春秋会の黒沢森男会長が乾杯の音頭を取り、連合婦人会が精魂込めて作ったご馳走がふるまわれた。
 山口勉さん、吉田千鶴子さん指導による民謡大和会の浴衣姿の子供ら約十五人が花笠音頭、ソーラン節などの踊りや演奏を披露し、拍手喝采が送られた。子供たちが三味線を披露し、会場を練り歩くように踊ると一行は手拍子で答え、あまりの愛らしい踊る様子に、思わず顔をほころばす姿が見られた。
 金子さんから「全員で炭坑節を踊りましょう」と呼びかけられ、連合婦人会もエプロン姿で参加し、六十人以上が楽しそうに輪になって踊った。
 初めてふるさと巡りに参加した岐部鈴子さん(70、大分県出身)は「何十年ぶりかに炭坑節を踊った。なんかふる里みたいな雰囲気がある」と日本情緒を称賛した。参加三回目の多田康子さん(64、徳島)は「普段、接することのない地方の生活が見られるので興味深い」という。
 長友団長は「大歓迎を受けて感激した」と語り、最後に恒例の「ふるさと」を全員で大合唱。まるで前から知っていたかのように惜しみながら固い握手を交わして、会館をあとにした。(つづく、深沢正雪記者)



県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第1回=レジストロから旅開始=史料館は建物が展示品

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