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フリーメイソン=神秘的な儀式で日系顕彰=渡部和夫氏呼び記念講演

ニッケイ新聞 2008年6月5日付け

 フリーメイソンの一派、サンパウロ大東社(Grande Oriente de Sao Paulo)が五月二十日夜、日本移民百周年を顕彰する儀式を行った。その中で、日系社会を代表する人物の一人と彼らが考える渡部和夫元サンパウロ州高裁判事の講演を催した。
 サンパウロ市サンジョアキン街の文協ビルの少し下、客家文化センターの向かいに、同大東社は位置する。昨年十一月に百周年を顕彰したサンジョアキン街のメトロ駅近くにあるグランド・ロッジ(dependencias do Palacio Maconico)とは別の派。
 二階に上がると、黒い背広に水色の胸飾りとエプロン状のものを巻いた男性たちが待っていた。彼らだけ先に中に入ったかと思うと、講堂の扉の前に男女別に並ばされた。
 儀式開始が告げられカーテンが開くと、薄暗い中に左右から剣をのばして頭上で交差させたトンネルが作られた下をくぐり、男女が左右に分かれて壁際に着席した。薄暗くて神秘的な雰囲気の中、よく目をこらすとメンバーの数人に日系人の姿も混じっている。
 講堂の奥の壁には、フリーメイソンの象徴である三角形の中に目玉のあるマークがキラリと光る。その前に高座テーブルがあり、手前の席の真ん中を幅三メートルほどの通路が客席を左右にわる。高い天井には星や月状のキラキラした夜空を模したものが貼られ、剣士たちが手にロウソクを持った。
 静粛な中に日伯両国歌が流れ、一同は斉唱した。
 主賓として中央高座に座った渡部氏が講演したのは、日系人がいかにブラジル社会に同化・統合したかというテーマだった。いかにしてコロニア・ジャポネーザがコムニダーデ・ニッポブラジレイラになったかという独自の史観を語った。渡部氏はとくにメンバーという訳ではなく、「日系社会を代表する人物」と目されたようだ。
 当日、儀式を司った日系人最高位のイケダ・テツオ氏(二世)は「大東社の名において百周年を祝います」と宣言した。
 続いて、会場の四方に陣取る高い机に座ったメンバーが、イケダ氏の経歴を細かく紹介し、「彼は真のマッソン(信者)だ」と讃え、顕彰した。
 最後に州最高位のグラン・メストレ、ベネジット・マルケス・バルキ氏は「日本人の移住はブラジルにとって大変重要なものだった。ここにも日系人の〃兄弟〃がたくさんいる」と語り、百周年を祝った。

サンパウロ大東社=「戦争中に日本語で活動」=日系社会との意外な由縁

 サンパウロ大東社のサンパウロ州最高位のグラン・メストレ、ベネジット・マルケス・バルキ氏ら幹部は五月二十日、ニッケイ新聞の取材に応じ、日系社会とのつながりを語った。
 同派の特徴は、現実の権力(司法、立法、行政など)に模した組織を作っている点だ。大東社のサンパウロ州議員ペドロ・マリオ・ファヴェロ氏によれば、サンパウロ州内にはこのようなロージャ(教会)が約六百六十もあり、信者は二万人を数える。全伯では二千四百十のロージャがあり七万人が活動している。
 バルキ氏は説明する。「創立は一八二一年で、ブラジルの独立宣言や奴隷解放令の交付は我々の仲間がやった」という。「日本人、日系人の比率はかなり高い」という。
 マリオ・セリジオ・ヌネス・セザール副サンパウロ州議によれば、「日系人との関わりは戦争中からだ。迫害された枢軸国側移民の兄弟を集めて、母国語による活動を行った。日本語のロージャには二十~二十五人がいた。ロージャは常に彼らを守ってきた」という。
 場所はこのサンジョアキン街の建物の中で、当時はまだ「秘密結社」的な色彩が強かったが、現在では民族別の活動をやめて一緒になり、親睦・学習などが中心になっているという。
 一般にフリーメイソンの信者は、自営業者やインテリが多いと言われる。当時の日本移民のどのようなメンバーがこの団体に関わっていたのか。移民史の意外な裏幕が隠れているかもしれない。

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