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100年前と未来をつなぐ=ブラジルの空・海の玄関に=大竹さんのモニュメント

ニッケイ新聞 2008年6月27日付け

 サントスとグアルーリョス、ブラジルの海と空の玄関口を、日系造形作家によるモニュメントが飾った。いずれも百周年記念事業として、大竹富江さんが製作したもの。笠戸丸以来幾多の日本移民が新天地での第一歩を踏み出したサントス、現代のブラジルの玄関口であるグアルーリョス空港に日系作家によるモニュメントが設置されたことは、移民百年の歩みを象徴する出来事と言える。サントスでの除幕式にはブラジルご滞在中の皇太子さまが臨席され、次の百年に向けた日伯友好関係を印象づけた。

サントス=皇太子さまご臨席のもと=「21世紀公園」で除幕式

 世界中からの移民がブラジルでの第一歩を踏んだ地、サントス。市内ジョゼ・メニーノ海岸の埋立地に建設中の「Ondas Seculo 21(二十一世紀の波)」公園内に設置されたモニュメントは、高さ十八メートル。空に向かって真っ赤に波打つような形をしており、海に臨む公園先端部につくられた。
 皇太子さまは二十一日、旧サントス日本語学校改修落成式にご出席後、午前十一時過ぎに同公園で開かれた除幕式にご出席。島内憲駐伯大使、西林万寿夫聖総領事、大竹さんとその長男のルイ氏、ジョアン・タヴァレス市長はじめ、市役所、日系団体関係者ら約百人があつまった。
 小雨がぱらつき関係者を心配させていたが、皇太子さまが到着される直前にピタリと止んだ。
 式でジョアン市長は「サントスは港街として友情、尊敬、温かさをもって世界中のたくさんの人たちを受けれいれてきた」とあいさつ。同モニュメントについて「日本とブラジルの輝かしい未来を象徴している」と力強く述べた。
 モニュメントの除幕時には、近くに停泊していた船が一気に放水、汽笛を鳴らしての演出に、出席者から大きな拍手がおこった。
 記念公園の建設は、サントス市の観光事業の一環。海岸部から四百メートルほど海に飛び出すようにあり、陸上、イベント会場、高齢者向けの憩のスペースなどを設ける。公園全体の設計を担当する大竹ルイ氏は「教育、スポーツ、文化など幅広く活用できる公園」と胸を張る。今年十月から十一月ごろの完成を目指している。

グアルーリョス空港=日本移民顕彰広場も

 グアルーリョス国際空港で建設が進められていた記念モニュメントと記念広場の落成式は十六日午前十一時過ぎから同空港で実施された。
 大竹さんや、同事業を進めてきたグアルーリョス文化体育連合(USEG、椋野フェルナンド会長)、後援企業、敷地を提供した空港インフラ整備公団(INFRAERO)、エロイ・ピエタ市長、日系団体関係者など二百人以上が出席。斉藤準一空軍総司令官はじめ日系の軍関係者も出席して完成を祝福した。
 真っ赤に塗られた円形の記念モニュメントは鋼鉄製で、高さ九メートル、重さ二十二トン。サンパウロから空港ターミナルへ入る手前に設置されている。
 その形は、空港での出会いと別れの際に交わす「抱擁」を表している。大竹さんはニッケイ新聞の取材に対し、「グアルーリョス連合をはじめ皆さんの援助があってできたもの。百周年の記念碑として作ることができ、光栄に感じています」と感想を語った。
 記念広場はモニュメントから空港側に寄った敷地に設置。円形の広場の縁を囲む六枚の御影石のプレートには、笠戸丸移民の氏名や、後援企業・団体、建設にあたっての寄付者氏名などが掘り込まれている。
 椋野会長はセレモニーで、「百周年を機に、日本移民の歴史が顕彰されることを誇りに感じる」と喜びを表し、同モニュメント・広場を「日系だけでなく全ての民族系コミュニティにとっての平和のシンボル」と位置付け。協力者へ感謝の言葉を述べた。
 INFRAEROのジョアン・マルシオ・ブランドン専務も「百周年に参加できることを誇りに思う。日系社会は百年の共存の中でブラジル社会発展に貢献してきた」と賛辞を送った。
 会場では大竹さんと同市在住の坂上りょうさん(100)に花束が贈られたほか、後援した仁根建設資材など関係企業・団体に感謝状が贈られた。その後は、一同現地に移動して記念広場の除幕式が行なわれ、太鼓演奏なども披露された。

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