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アルバレス・マシャード=快晴のもと第88回招魂祭=百周年、開拓90年の節目=8百人参集、先人しのぶ=念願の道路舗装も完成

ニッケイ新聞 2008年7月16日付け

 第八十八回招魂祭が十三日、奥ソロカバナ線アルバレス・マシャードの日本人墓地で行なわれた。同市の前身であるブレジョン植民地の入植九十周年、日本移民百周年にあたる今年は、例年を上回る約八百人が訪れ、先人の御霊に祈りを捧げた。これまで一度も雨に降られたことがないという招魂祭。今年も、マシャードの空は青く澄み渡っていた。
 一九一八年に開設、三〇年代には十七支部に分かれ、約一千家族が暮らしたというブレジョン植民地。日本人墓地は一九年、第一支部小学校のあった土地に作られ、入植開始から戦争開始後の四三年に禁止されるまで、同地で亡くなった日本人七百八十四人が埋葬された。
 日本の旧盆にあわせ七月第二日曜日に行なわれる招魂祭は二〇年から、休止した四二年をはさんで現在まで、地元アルバレス・マシャード日伯文化体育農事協会により脈々と続いてきた。同墓地は日本人墓地として唯一、州の歴史建造物に指定されている。
 同市では百周年事業として、資料館の開設、鳥居と記念碑を配した広場の設置とともに、州政府の支援によりこれまで土道だった街道から墓地までの道千百メートルをアスファルト舗装した。
 舗装実現に尽力した勝谷孝ルイス市長(53)は同地生まれの二世。「先人の教育への熱意によって、多くの子弟が大学を卒業できた。日本移民の子孫として誇りに思う。先人が伝えた歴史、文化を残していきたい」と語った。
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 雲ひとつない青空の下、十三日午前九時から墓地内の御見堂で追悼法要が営まれた。導師は真言宗スザノ金剛寺の菅野信隆開教使。サンパウロからは森田聡在聖総領事館領事、ブラジル日本文化福祉協会の上原幸啓会長も出席し、読経の中、約百五十人が焼香した。
 同地文協の和田光喜副会長は追悼の辞で、「日系社会の礎となった先人の開拓精神を忘れず、日伯親善に努めていくのが私たちの使命」と誓いの言葉を述べた。
 汎ソロカバナ日伯文化協会の纐纈俊夫会長は、「奥ソロ唯一の文化財である日本人墓地を心の糧として、いたわり守っていきたい」とあいさつ。森田領事も「皆さんが地域に根を下ろして発展し、次の百年を見据え大きな役割を果たすことを期待します」と述べた。
 法要後は、旧第一支部小学校の敷地で記念セレモニー。マシャード文協の松本一成会長は、埋葬されたうち三百人以上が三歳までの幼児だったという、医療、交通の便のない開拓当時の苦難を振り返り、「日本人墓地は初期移民の歴史の一ページを刻むもの」とあいさつ。長年の夢だった道路舗装が実現したことについて、市長はじめ関係者へ謝意を表した。
 市長から森田領事へ同市公式来賓のプレート、同文協から関係者へ感謝状が贈られた。奉納演芸会では地元、近郊の日系団体による歌や踊り、計七十演目が披露された。
 モジアナ沿線の町で生まれ一九年、一歳で同地に入植した前田清人さん(90)。自身も弟、甥が幼くして亡くなった。「昔はどの家に行ってもピンガがあった」と話す前田さん。「大きくなって分かったけど、あれは悲しみをまぎらすためだったんでしょうね」と往時の苦労に思いをはせ、「招魂祭には、昔ここにいた、懐かしい人たちが来てくれる」と昼食会場で話していた。
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 墓地では午後五時半頃から、皆で手分けして一つ一つの墓石にろうそくが灯された。「来た人も、来れなかった人も、皆のお墓につけるんです」、同地生まれの佐野アルベルトさん(67)は、ろうそくを手に話した。
 それまで吹いていた風は次第にやみ、夕闇の中、先人を迎える火が静かに墓地を照らしていた。

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