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百年の知恵=移民と「日本精神」=遠隔地ナショナリズム=第4回現実を超えた「想像」=勝ち負けの心理的背景

ニッケイ新聞 2008年7月24日付け

 終戦直後、ブラジル移民の圧倒的多数は日本の敗戦が信じられず、ポ語メディアの情報を受け入れていた「負組」と鋭く対立し、そのごく一部が暴発するように勝ち負け紛争を起こした。
 この時、移民一般の頭の中には「勝ったはずの日本」という「想像の政治共同体」(以下、「想像の~」)が、現実を凌駕する鮮明さで存在したに違いない。
 アンダーソンによれば、同じ時間を生きている感覚「同時性」と、同じ境界の内部に属しているという感覚「限定性」の二つが、共同体という感覚を成り立たせる二大要件だという。
 戦前の同胞社会に「同時性」を与えていたのは、邦字紙による情報と各移住地を巡回して回ったシネマ屋やビアジャンテ、そして日本から直接発信されたナショナリズムのメディア、大本営発表を伝えた短波放送「東京ラジオ」だった。
 一般の移住者は、それらがもたらす祖国の戦勝情報をむさぼるように聞き、いつか錦衣帰〃国〃するであろう自分の姿を夢見た。現実の生活が辛ければ辛いほど、そのような情報に逃避する傾向があったのだろう。
 ブラジル社会と同胞社会の間に、明確な境界線としての「限定性」を与えたのは日本語であり、戦前の移住地や植民地という完璧な日本語環境だ。
 境界の中には、近代国家としての日本が作り出した、ナショナリズムの基礎「国語」を広める日本語学校が集団地ごとに作られ、戦前だけで五百校ちかくあった。
 一九三〇年代のブラジルもまた国家形成の時期であり、バルガス新国家体制というナショナリズム旋風が吹き荒れ、外国移民に対して同化を強いていた。移民子弟へのポ語教育政策の強要は、「ポ語世界=ブラジルへの同化」という言語的な境界線を印象づけた。
 これらの出来事は日本民族にとって未体験の事態であり、少数民族としての不安感や緊張感が集団の団結意識を強め、境界をより鮮明にした。
 「想像の~」が現実を超えるほどの存在感を持つには、この二つの要件と同時に、メディアとの関係も重要なポイントだった。
 日本移民にとっての戦争は、目の前で行われているものではなかった。あくまでもメディア(ビアジャンテも含む)を通して伝わる情報であり、その信憑性には解釈の幅があった。
 ブラジルの新聞は日々刻々と戦況を伝えていたから、勝ち負け紛争が起きたのは、情報の量の問題ではなかった。
 問題は、信憑性という情報の質にあった。信憑性の根元は、信頼に足る権威筋から発せられる情報であることだ。かつて権威ある情報は、邦字紙が日本語でもたらすものであり、本国の情報に関しては総領事館を通した「広報」が最も重要なものだった。
 ところが、四一年に邦字紙は廃刊され、四二年にブラジル政府は枢軸国と国交断絶を宣言し、日本外交官総引き上げとなり、精神的には〃日本の飛び地〃のような状態だった同胞社会は、突然「信憑性のある情報」という指針を失った。
 外交官の帰国などで指針は失ったが、目の前にあるブラジル政府という権威に指針を求める方向へはいかず、頭の中の「想像の~」の存在感をさらに増す傾向で自分たちの精神的安定性を補強した。
 その延長線上に、元々の最高権威筋であった大本営放送「東京ラジオ」から流れてきた玉音放送すら信じられなくなる事態を迎えた。
 この時点が、同胞社会にとって、日本が発表する〃事実〃よりも、同胞社会内の「想像の~」の方が現実感を増した決定的な瞬間だった。(続く、深沢正雪記者)



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