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百年の知恵=移民と「日本精神」=遠隔地ナショナリズム=第7回作られるコロニア正史=「勝ち組=テロ」は本当か

ニッケイ新聞 2008年7月29日付け

 前節までは、極限心理に置かれた同胞社会が集団幻想として想起した日本民族という「想像の政治共同体」が、どのような条件と過程によって、現実を越えるほどの存在感を生んできたか、を見てきた。
 このような勝ち負けの歴史は戦後、文協初代会長になった山本喜誉司氏をリーダーとする認識派によって「正史」として綴られてきた。でも、戦後六十年を経て、その記述が公正さを欠くものだったのでは、という疑問がでてきている。
 歴史は、時の権力によって解釈される。戦後初、コロニアの公的機関が編纂した正史『七十年史』(一九八〇年、同編纂委員会)では、「勝ち組=テロ組織」というイメージを定着させようとする記述が目立つ。
 例えば「臣道連盟の名で代表されるいわゆる勝ち組(信念派、強硬派とも呼んだ)」(八十四頁)とか、「事実、後に記述するテロ行動に参加していた者は臣道連盟が傘下に集めた、諸団体のいずれかに所属していて、臣道連盟はこれを『推進挺身隊』と呼び直接に暗殺を担当させたものを『特攻隊』と称していた」(同)などと延々と関連した記述が続く。
 もちろん、戦後再開した邦字紙も、そのイメージ定着に一役果たしたことはいうまでもない。
 それに対し、フリージャーナリストの外山脩氏はその著書『百年の水流』(〇六年)の中で疑問を呈し、反論を試みている。まず、第一に「特攻隊」という言葉使い自体が、実は当時使われておらず、特〃行〃隊であったと三百六十頁で立証している。
 「テロ事件の最初の報道の段階で、決行者の隊名『特行隊』を『特攻隊』、それも臣連の一組織であるとする勘違いが起きた。ためにコロニアだけでなく、ブラジル社会までが『臣道連盟の特攻隊がテロをやった』と信じ込む。驚くことに、これは通説となり、今日まで生き続けている。六十年間も…。ジャーナリストですら、それに気づかず、記事を書き、ときには本としている」(四百六十九頁)。
 このような疑問を呈する論考が大々的に公表されることで、「正史」と考えられてきたものに怪しい部分がある、という検証作業が、ようやく始まった。
 長い間、この問題について調べることは、「当事者が生き残っている間は不可能」との暗黙の了解があった。負け組系の邦字紙は勝ち組人物を紙面で扱わず、その逆もまた真だった。
 しかし、現在では多くの当事者が鬼籍に入り、コロニア御三家の影響力が衰える時代になり、疑問が公にされるようになった。
 『七十年史』には四六年時点で臣道連盟には支部八十、会員十数万人を擁した(八十五頁)とある。少数派であった認識派が権威を維持するためには、勝ち組の勢力を削ぐよう悪役化する必要があったのかも知れない。
 六十年経った今も「私は勝ち組だった」「自分の親は臣道連盟だった」と言いづらい雰囲気を残している。
 『百年の水流』では「事件に、連盟員が仮に関係していたとしても、それは個人としての行動であったろう。さらにダメ押しの様な一言が、佐藤正信さんの口から漏れた。――もし、臣道連盟がテロをやっていたら、とても、あんなものでは済まなかったでしょうヨ。著者はアッと思った」(四百四十頁)。
 現実よりも強力な存在感を持つという一線を越えてしまった「想像の政治共同体」が、組織として実体化したのが臣道連盟だったのかもしれない。(続く、深沢正雪記者)



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