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百年の知恵=移民と「日本精神」=遠隔地ナショナリズム=第5回「共同体」は極楽浄土=極限心理が求めた救い

ニッケイ新聞 2008年7月25日付け

 戦前戦中、移民たちは敵性国民としてブラジル政府や一般社会全体から、圧倒的なプレッシャーを感じていたに違いない。
 半田知雄氏は『移民の生活の歴史』(1970、家の光協会)の中で、戦時下の同胞の心理状態をこう表現する。
 「多くのものが警察に拘引され、留置場にたたきこまれ、ときには拷問されたという噂があり、不安がつのればつのるほど、この状態を脱出するための未来図は、東亜共栄圏内に建設されつつあるはずの『楽土』であった。民族文化を否定され、そのうえ日常生活のうえで、一歩家庭をでれば、戦々兢々として歩かねばならないような息苦しさに、ブラジルに永住する心を失った移民たちは、日本軍部が約束した共栄圏のみが、唯一の生き甲斐のあるところと思われた。それは、この世に望みを失ったものが、極楽浄土をのぞむ気持ちにも等しいものであった」(六百四十頁)
 ブラジル政府による邦字紙廃刊命令と日本外交官帰国という、民族的に未曾有な環境が心理的な緊張感を高めるジョウロの役を果たし、「負けるはずはない」という願望が、ついに敗戦という情報を超えてしまった。
 「一九四五年八月十四日、最後の勝利も近いと期待していた同胞のもとにもたらされたものは、晴天の霹靂の祖国敗戦の報であった。この衝撃の報はたちまちにして情報機関もない邦人社会のすみずみまで伝わり、ひとりひとりになすところを知らない呆然自失の打撃を与えたが、時を移さずそれはデマであり、事実は日本大勝利の逆転の報が伝えられた」(宮尾進著『臣道聯盟』百八十二頁、人文研叢書、03年)。そして「ほとんどの者がそれを信じたのである」とある。
 いつかは帰国するとの願望を抱いていた大半の戦前移民にとって、「敗戦」は帰る場所がなくなることを意味し、感情的に到底受け入れられるものではなかった。
 半田氏は「広報」とはかくあるべきというイメージを、こう説明する。「堂々と日章旗をひるがえした帝国軍艦か、あるいは日の丸をえがいた飛行機に搭乗する天皇陛下の御名代としての全権使節によって、ブラジル政府ならびに在伯日本帝国臣民にもたらされるものでなければならなかった」(六百四十八頁)。
 情報の有無が問題ではなかった。日本語「詔勅」ではなく、外国政府の手を経てポ語の「メッセージ」が外電でまわってくる伝達の仕方自体に信憑性の問題があった。
 だから、「天皇の神聖な詔勅が、ポルトガル語で新聞にでたというのが、すでにおかしい。そして、それが敗戦を告げるものであってみれば、なおあやしい。勅書は偽造されたものとみなされたのである」(同頁)という当時の移民一般の心理が生まれた。
 その願望と現実の狭間に移民の心のゆれが凝縮され、信憑性のある情報源がないという特種な状況が、戦勝情報を広げる余地を作った。
 このような極限心理においこまれていた移民の頭の中には、「想像の政治共同体」としての日本や日本民族の理想像が想起された。そこに強く救いを求める心理が働いたとして、誰を責めることができよう。(続く、深沢正雪記者)



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