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百年の知恵=移民と「日本精神」=遠隔地ナショナリズム=最終回 百年の経験を見直す=移民の心の旅はまだ途上

ニッケイ新聞 2008年8月30日付け

 幼少で移住した準二世として常に「移民にとっての故郷」の意味を常に問い続けてきた歌人、清谷益次さんは二十三年前、次のような考え抜いた言葉をしたためた。
 「私にとってのブラジルは、いったい何であったのか。環境にたやすく順応できる年令にありながら、私は深くも知らない日本に心を寄せ続け、その故に〃ブラジル〃を幼い心で拒みつづけた。心を開かない私に〃ブラジル〃が常に異郷であり続けたのは当然のことであった。生活そのものは〃ブラジル〃に溶け入って、帰化ブラジル人ともなり、今では人並みにブラジルの良さも悪さも心の中で納得し、愛しむ心さえも抱くようになっていながら、半世紀も費やしても私はついに、この国の中で一個の異邦人に過ぎなかった、と言わねばならないようである」(『遠い日々のこと』一九八五年、百二十八頁)
 祖国への〃永遠の飢餓感、飢渇感〃を幼心に刻まれた清谷さんにとって、心のなかにあった「想像の共同体」(=日本)の存在はあまりにも重いものだった。多くの移民が心から共感する文章だろう。
 移民は生まれた場所から離れたがゆえに、本国人以上に郷土愛を強めざるをえなかった。外国という不安定な環境におかれた移民は、そのような想いをたんなる郷愁で終わらせず、同化圧力に反発する形で祖国を理想化して帰属意識を強め、遠隔地ナショナリズム「日本精神」として結実させたともいえる。
 数え切れない血と汗と涙をもって移民が重ねてきたこの経験は、祖国日本にとって何を意味するのか。移民が何気なく送っている日常自体が、実は壮大な民族的実験そのものであり、この連載はその成果の一端をすくい上げる試みでもある。
 移民の経験を近代史やグローバリゼーションという大局的な視点から解釈し直すのが本稿の目的だ。貴重な体験をたんなる昔話で終わらせず、現代の文脈から読み直す作業だ。
 「百年の知恵」という連載シリーズの基底となる考え方「移住は壮大な民族的な実験である」を長年提唱してきた弊紙の元編集長、吉田尚則氏は「ナショナリズムを持たない移民は根無し草になってしまいかねない」と繰り返す。このような遠隔地からのナショナリズム傾向は、国境を越えてグローバルに共鳴しあう性質を持っている。
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 愛知県豊田市の保見団地にあるブラジル人学校「パウロ・フレイレ地域学校」が百周年記念で四月に刊行した「私たちのルーツ」という文集でマルシオ・ゴンサルベス・ローザさん(28歳)は祖先にこう感謝する。
 「厳しい環境で働き、たくさん夢をみて、いろいろなことを乗り越え、しかし、けっして祖国を忘れなかった彼ら。それがわたしの誇り、おじいさんとおばあさん。祖父母たちが残念ながら帰国する機会がなかったことを残念に思います。しかし、その後、私たち子孫が海を越えてこの国で生活できることを神に感謝します」。
 三万五千人もの学齢期のデカセギ子弟が日本にいるが、彼らのルーツは日本の正史的には「存在しない」と認識されている。歴史教科書という「国民」を育成するための正史には、移民の記述はほとんどないからだ。ルーツが見えないから、すぐ隣にいる日系人の声が日本人に届かない。
 そこには、エスニック化する世界の潮流からくる国籍を超えた「日本人」像を求める切実な思いが込められている。また、NHKを視聴する、世界にもまれな約二十万人ものバイリンガル層「日本語文化圏」という存在も、日本にとっての財産のはずだ。
 かつて、日本国民は移民を南米に送り出したあとは、視界から消え去ったその存在を忘れ去ることができた。神戸や横浜港に見送りにいった親類や家族ですら、もう二度と会うことはないと思った人も多かった。
 でも、笠戸丸は長い長い心の旅の始まりだった。日本移民はブラジルにしっかりと根を張ったが、同時に、その一部はグローバル化という大潮流にのって、一世紀がかりで別の場所にようやくイカリを下ろした。それは、一まわりした元の場所だった。
 しかし、戻ったのは日本人でなく「ジャポネース」だった。この百年間に起きたことの意味を問い直すことは、「日本人の果て」と「外国人の始まり」という民族的グレーゾーンを見つめることでもある。
 そこには日本にとっての重要な課題の数々が、移民の哀切たる想いと共に、幾重にもたたみ込まれている。百年前に始まった心の旅は、まだその途上にすぎない。(終わり、深沢正雪記者)

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