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宮沢和史ブラジルツアー閉幕=全伯4都市で百周年公演=ファン110人も日本から=「曲通し移民のこと知った」

ニッケイ新聞 2008年8月6日付け

 六月十八日に日本で発売された百周年記念ソング「足跡のない道」を携え来伯した、宮沢和史率いる「GANGA ZUMBA」のブラジル四都市ライブツアーが、七月二十八日のリオのカネコン公演で幕を閉じた。
 九四年から二十回以上来伯し音楽活動を行ってきた宮沢和史は『島唄』をはじめとするヒット曲で、日本では不動の地位を確立している歌手の一人。「この曲(足跡のない道)を通して日伯を繋ぎたい」と日伯友好の旗振り役を買って出た。
 日本移民百周年のために書き下ろした「足跡のない道」は、〇六年に死去した最後の笠戸丸移民、中川トミさんとの出会いがきっかけで生まれた楽曲。「トミさんの人生を想像して歌詞を綴った」と話している。
 先月二十六日にSESCポンペイアで行なわれたサンパウロ公演では、日本から百十人のファンがツアーを組んで参加。ファン歴十四年の樋口真由美さん(大阪・29)は「(足跡のない道の)二番の歌詞―君とふたりで渡る 紺碧の海原―を聞いて、自分が百年前、移民の立場だったらと想像したら、涙が出てきた」と語った。
 「宮沢さんから聞くまで、移民のことは何も知らなかった」と話す柴田朱巳さん(ファン歴十九年・大阪・33)は、その後「ハルとナツ」や本を読み、初めて移民の歴史に触れたそうだ。「同じような日本人はほとんど。知ることができて良かった」。上田由香さん(ファン歴十年・京都)は「移民の子孫の方々とお会いしたい」と話し、宮沢和史の日本での活動が少しずつ根を広げていることをうかがわせた。
 サンパウロ公演では、ロベルタ・サーやペドロ・ルイスを迎え、アンコールでは三人で「島唄」を熱唱、会場は一体となって最後の盛り上がりを見せた。総立ちとなった客席から拍手と声援が止まず、ステージに集まり輪になったメンバーは何度も「ありがとう」と来場したすべての人へ感謝を表した。
 「足跡のない道」の前置きには中川トミさんとの出会いを簡単に紹介。ブラジル人や日本人、ファンでほぼ満員となった会場に、リオ訛りのポルトガル語で話し掛けた。多彩な楽器のテンポの良い曲から雰囲気をがらりと変え、二胡の伴奏でしっとりと力強い歌声を響かせ、会場は聞き入った。
 ファンは慣れた様子で始めから曲に乗り盛り上がりを見せていたが、地元から来たブラジル人や日本人もだんだんとヒートアップ。宮沢和史も汗だくになってステージ全体を駆け回りながら盛り上げ、迫力のある歌声とメンバーの奏でるラテン系のリズムに、約六百人の観客はそれぞれ手を振ったり踊ったりしながら、約二時間の公演を満喫した。
 ツアー初日のクリチーバ公演では、中川トミさんの息子である渡さん家族と再会を果たした。最終日のリオ公演では、自身の夢だったカネコンを舞台に、ファンも迎えて成功を収めた。七月三十一日の自身のブログで、「長い間見てきた夢がひとつ終わりました。達成感と同時に、切なさも感じています」と綴っている。

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