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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年8月7日付け

 コロニアの歴史を書き、残すには資料だけでは分らない〃空気〃を嗅ぎ取ることが必要だと常々思う。しかしーである。コチア産組の存在感・影響力をその崩壊後に来伯した記者は知らない。バタテイロが散財し、〃芸者〃がいたという料亭「青柳」にまつわる数々の逸話を聞き、ため息をつくのは角のバールだ▼そもそも移民の移民による移民のための邦字新聞の書き手が移民でなくなって久しい。知識と聞いた話だけで記事を書くのは、あまりに心許ないだけに、新来記者は当時を知る先輩記者の感覚を頼りにしてきた▼そういう意味で生き字引のような存在だった本紙編集部の神田大民デスク(70)が先月末、四十五年の記者生活に潔い幕を引いた。本紙の前身パウリスタ新聞に入社、日伯毎日新聞の編集長も務めたが、生涯一移民記者のスタイルを貫いた▼常に穏やかな表情で決して声を荒げることなく、孫のような新人の指導にあたった。記者の楽しさとやり甲斐に目覚め、日本のメディアで活躍している元研修生も多い。最後に贈るメッセージを呼びかけたところ、日本、ブラジルから二十通近くがすぐさま届いた▼年季に裏打ちされた安定感があった。多忙を極めた百周年では、「どんどん取材に出たらいい。後は任せて」とハッパをかけてくれた。六十年祭からの周年行事を知る大先輩の言葉は心強かった。それだけに今、淋しさだけでなく正直不安も感じる▼そして筆者が今回から本コラム「樹海」を担当することと相成るわけである。迷ってばかりのコロニア樹海。読者諸兄の厳しくも優しい目を羅針盤に取り組みたい。(剛)

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