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「ゆいまーる」の心伝えたい=沖縄百周年=7百人集い慰霊法要

ニッケイ新聞 2008年8月28日付け

 沖縄県人ブラジル移民百周年を記念した開拓先亡者追悼慰霊法要が、二十三日午前十時過ぎから沖縄県人会サロンで行なわれ、県人会関係者ほか母県、各国からの慶祝団など七百人以上が出席した。
 献楽、献花、献茶の儀に続き、導師を務める采川道昭・曹洞宗南米別院仏心寺総監ほか僧侶が入場。追悼の辞を読上げた与儀昭雄県人会長は、先人たちの百年間の自己犠牲の上に二、三、四世の現在の活躍があると述べた上で、「県人会の理事会も世代が代わり、日本語が不自由になっても、先人が残した『ゆいまーる(助け合い)』と『いちゃりばちょーでー(出会ったら皆兄弟)』の精神を次世代に伝えていきたい」と誓った。
 安里カツ子副知事が仲井眞弘多知事の弔辞を代読、「県系社会の今日の発展は、異国の地でウチナーンチュの誇りをもち困難に立ち向かってきた先人の尽力の賜」と敬意を表し、「これからも互いの絆を深め発展のため努力します」と述べた。高嶺善伸議長も「今後も県系社会とブラジル、故郷沖縄の発展を見守ってほしい」と話した。
 日系最初の歯科医となった金城山戸氏の次女、熊谷金城美代子さん(81)が、笠戸丸移民子孫を代表して追悼の辞を読上げ。父親の歴史を紹介するとともに、「先駆者の努力と苦労、挑戦があってこそ、今日の子孫の社会進出がある」と感謝の言葉を述べた。
 この日、舞台の祭壇には先亡者慰霊の位牌とともに、百周年を表す百の花、漢字の六を象って六世誕生を表した花が飾られた。弔辞の後、焼香に移ると、読経が続く中、出席者の長い列が会場いっぱいに続いた。
 「主人と長男、三男を亡くしていますから、今日は参加しました」と話すのはサンパウロ市在住の上江州ナエコさん(82、一世)。「たくさんの人が、いろんな国からも来て、本当に良かった」と明るい表情を浮かべる。
 沖縄出身の両親を持つジャーナリストのジョルジ・オクバロさんは、「先人を偲ぶ慰霊祭は、とても重要な行事だと思う。先祖があってこそ、今の私たちがいるのですから」と話していた。
 宮城滋慰霊法要委員長は「この百年間の発展は先輩たちの苦労のおかげ。先人に対し感謝の気持ちでいっぱいです」と安堵の面持ちで語った。

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