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実りの葡萄の名産地=ペトロリーナ・ジュアゼイロを訪ねて=連載〈1〉=ペトロリーナ=成長続けるブドウの里=端境期利用し輸出拡大

ニッケイ新聞 2008年10月29日付け

 サンパウロ市から約二千三百キロ北にあるジュアゼイロ(バイーア州)とペトロリーナ(ペルナンブコ州)の両市は、ミナス・ジェライス州に発するサンフランシスコ川を挟んだ兄弟都市だ。一九七〇年代から国家プロジェクトとして進められた灌漑事業により、国内屈指の輸出ブドウ生産地に変貌を遂げ、カーチンガといわれるサバンナにも似た乾燥疎林地帯の中に蜃気楼のようにビルが林立する。一九八三年、コチア産業組合が募集した三十の日系家族がこの〃神に捨てられた土地〃に新たな夢を見てから四半世紀。現在では、二百家族、約七百七十人がブドウ、マンゴーなど果実栽培を中心に根を張る。サンフランシスコ川流域の日系人農家を訪ねた。
(堀江剛史記者)

 「今年はかなりいいね。来週から忙しくなるよ」。九月上旬、ペトロリーナ市郊外に所有する三十ヘクタールのファゼンダで松本ケンさん(37、三世)は、たわわに実ったブドウの成長ぶりを手の感触で確かめながら、目を細めた。
 パラナ州クルゼイロ・ド・オエステ市生まれ。大学卒業後、サンパウロ市で会社勤めも経験したが、すでに同地に移っていた父利蔵さん(72)、兄シュンさん(45)の強い勧めで九八年、ペトロリーナに第二の人生を賭けた。
 松本さんのロッテは、約四万四千ヘクタールを千六百のロッテに分譲し、三十の給水施設を整備したプロジェクト(perineto irrigado senador Nilo Coelho)の一つだ。六十のロッテが日系人のものだという。
 九八年に六万レアルで購入したが、十年後の現在、評価額が十倍に急騰していることからも同地域の発展を窺わせる。
 栽培しているのは、種無しブドウ「トンプソン」。一ヘクタール当り三十~四十トンを収穫、主にアメリカや欧州へ輸出する。
 ペトロリーナ、ジュアゼイロを中心とするサンフランシスコ川流域からの輸出量は、ブラジル全体のブドウ国外輸出のほぼ八割を占めるという。
 同地でブドウ輸出が盛んになったのは、ブドウをヨーロッパやアメリカの端境期に輸出することができるからだ。
 ブドウの主な生産地は北半球に集中しており、生産時期は秋を迎えるとともに終わるが、冬でも摂氏三十度を超える同地帯では、一年中ブドウを栽培できる強みがある。
 アメリカやヨーロッパの端境期にあたる十月下旬から十二月の市場を狙って剪定、収穫するブラジル産ブドウは、国際相場の一ドルを上回る二ドルから二・五ドルで取引され、価格も安定しているようだ。
 そう説明しながら笑顔を見せる松本さんだが、「経費の四分の三は人件費。ブドウ栽培は手間と金がかかるから大変だよ」と経営者の苦労も覗かせる。
 収穫時期を間近に控えると、一ヘクタールに七、八人の従業員が必要となる。主に輸出用となる種無しブドウの栽培が急増し始めた〇三年、同州の最低給料は百六十レアルだったが、現在は約三倍の四百二十五レアル。
 肥料も昨年度の倍、ドルの下落など農家にとって逆風ともいえる状況が続くにも関わらず、松本さんの表情が明るいのは、強い売り手市場が背景にあるからだろう。
 「一度植え付けたら、十五年ほどは大丈夫。だから土地の改良には色々することがあるんだ」
 強い太陽光線も葉を一杯に伸ばしたブドウ棚の下では、涼しいほどだが、乾燥地帯のため、ガマと呼ばれる水草を地面に敷き、水分の蒸発を防ぐ。痩せた土地のため、山羊の糞やバガンサ(サトウキビのカス)を混ぜるなどしている。
 ロッテ中に張り巡らされた水路から引き込んだホースから出る水に手を当てながら、「ここはダムから五十キロも離れているんだよ」と笑った。(つづく)
写真=たわわに実ったブドウ畑で。松本ケンさん

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