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連載〈2〉ファッチマさんの場合(2)=無一文で戻った元夫=一家の幸せ奪い日本へ

ニッケイ新聞 2008年12月6日付け

 「彼もずい分老け込んだと思った」。十年ぶりに再会した夫の印象を、ファッチマさんはこう振り返る。娘のタイスさんが空港で父親と初めて対面したが、「彼と抱き合ったけど、お互い泣きもしなかった」と冷静に振り返った。
 ファッチマさんは、身寄りもなく一人で戻ってきた元夫を、自宅に迎え入れた。「彼は私たちがファベーラにでも暮らしていると思っていた」と振り返る。
 〇五年四月一日、サコダさんは六十万円を浜松市内のコンビニで下ろした直後、複数の強盗に襲われた。当時の日本のポルトガル語新聞が実名で小さく報じている。そのため彼が一家の前に姿を現した時は、無一文に近かった。
 サコダさんは滞在中、ファッチマさんに貯蓄があることを知り、キャッシュカードを盗んで、六千レアルを全額下ろしたという。それをもとに、女遊びを始めた。
 「彼は自分の子どもたちと遊びに行くこともあった。でも私が働いている間、彼は街頭に立っているような女を私の車に乗せては、毎日出かけていたのよ」
 元夫は一カ月ほどで日本に戻っていった。間もなく、彼女のもとにスピード違反の請求書が三枚送られてきた。「これは彼がやったもの。当然罰金は彼が払うものと思った」。しかしさらに後になって、モジ市の裁判官名義で通知文が届いた。累積の罰金額が八千レアルを超えており、この支払いに応じなければ、車を押収するとあった。ファッチマさんは怒りと悲しみを覚えながら、仕方なしにサインした。
 さらに不幸は続いた。この間、ファッチマさんが勤めていた日系の薬局が閉店。貯金もすべて失っていた状況で、完済間近だったアパートのローンと管理費を払うことができなかった。銀行にアパートを差し押さえられ、一家は必要最低限の家具だけ運び出し、弟夫婦のもとを頼った。
 再就職のために、履歴書を二百通以上送った。「でもどこも私を採用してくれなかった。年齢の問題もあったのでしょう。今はもう疲れて仕事探しはしていません」。
 この後、空き缶の廃品回収と化粧品の行商を再開し、古着の販売も始めた。収入は激減。現在、二十歳になるウエズリーさんは近くの工場の在庫管理人として働き、一家の生計を助けている。
 ウエズリーさんは消防士になるのが夢だった。しかし専門学校に通う費用が工面できず、中学卒業後から働いている。礼儀正しく明るい青年だ。ただ、父親のことはあまり話したがらない。
 実は昨年、元夫から二年ぶりに手紙が届いた。日本での生活が財政的に苦しいと訴える内容とともに、自身の出生証明書を日本に送って欲しいとあった。何のためかわからず返信もしていない。それには再婚を望む内容もあった。
 「家族を捨てて、日本で愛人をつくった男が何を言うのか。もう彼のことは十分よ」。ファッチマさんの表情から同情心は一切伺えなかった。(つづく、池田泰久記者)

写真=元夫の手紙、写真を手に長男ウエズリーさんとファッチマさん(自宅前にて)

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