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子弟らが描く沖縄の歴史=サンパウロ市=斉藤悟道場「絆」公演=文協講堂超満員の人気

ニッケイ新聞 2009年3月25日付け

 斉藤悟琉舞道場(斉藤悟代表)と沖縄県人会が主催する琉球芸能公演「絆~心を結ぶ踊り(KIZUNA:CORACOES UNIDOS PELA DANCA)」(呉屋春美実行委員長、監修=斉藤悟、レアル銀行協賛)が二十二日、サンパウロ市の文協大講堂で行なわれた。沖縄の歴史を創作舞踊で描く同公演。県系子弟たちが中心となって、伝統芸能を残しながら、日本本土、ブラジルの文化との融合まで織り込んだ新鮮な舞台に、会場から盛んな拍手が送られていた。
 祖母が沖縄出身の斉藤代表は幼い頃から玉城流扇寿会で琉球舞踊を学び、県費留学から帰国した翌年、〇六年に同道場を開設。一昨年には沖縄県人会館で発表会を行ない約八百人が訪れた。今回は会場の二階席まで満員、千三百人以上が詰め掛ける人気を見せた。
 今回の作品は、琉球王朝の始まりから、明治時代の日本への編入、そして第二次大戦の沖縄戦と戦後のアメリカ統治、一九七二年の本土復帰から現代へと至る沖縄の歩みを創作舞踊、歌と太鼓で描いたもの。そこには「沖縄の人はいつの時代も歌と踊りを忘れることがなかった」という思いを込めたという。
 幕開けでは、五百年前、琉球王朝の首里城建設のため伐採した木材を運ぶ様子を歌った民謡「国頭サバクイ」にあわせ、レキオス芸能同好会がエイサー太鼓を披露。
 王朝の発展とともに生まれた古典芸能として宮廷舞踊の「四つ竹」が続き、さらに庶民の間で生まれた芸能として、豊作を祈る「繁盛節」、豊漁を祈る「豊漁」などが次々と舞台を彩った。
 時代は移り明治時代、日本に編入され沖縄県となった第二部「大和の世」では、沖縄に入ってきた日本本土の文化として日舞の花柳寿美富浩さんと門下生が登場。よさこいソーランをエイサー太鼓でアレンジするなどの試みも。
 そして一九四五年、唯一の地上戦となった沖縄戦を描く場面へ。薄暗い照明、爆撃や米軍との戦闘、死者の映像がスクリーンに映し出される中、旅立った夫を思って糸を巻く若妻の舞い「かせかけ」を斉藤代表が踊ると、会場は静まりかえり、やがて大きな拍手に包まれた。
 民謡教師の米須正さんが、物資のない時代に生まれた空き缶で作った三線で、戦後の収容所で生まれたという「屋嘉節」を演奏。
 戦後、アメリカ統治下の場面に移ると、一年間ブラジルで音楽活動を続けてきた歌手の具志恵さんがギター奏者のフラビオ・ラーラさんと三線で共演、会場を盛り上げた。
 伝統的な琉球舞踊を中心にしながらも、音楽のアレンジやアップテンポのダンスを交えた同公演。ストーリー性のある舞台に加え、エイサー太鼓とアラブのベリーダンスの共演など、多民族国家ブラジルならではの演出もあり、来場者を楽しませた。
 「世界に一つだけの花」に続いて、出演者全員で「絆」を踊り、三時間半の公演はフィナーレ。関係者一人一人に花束を渡した斉藤代表は、涙声で「ありがとうございました」と来場者に感謝の言葉を述べていた。
 公演後は出口に並んだ出演者と握手を交わす人たちの長い列ができた。琉球舞踊との共演に初挑戦した花柳寿美富浩さんは、「習慣も違うし、いい勉強になりました。たいへん良くしてもらい、人の温かみを感じた」と笑顔。
 会場を訪れた斉藤代表の祖母、新垣春子さん(73)は「嬉しくて、涙でいっぱいになりました。これが自分の孫かと思うくらい」と喜び、「皆さんのおかげです」と話していた。

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