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バルゼア・アレグレ移住地=「評価ゼロ」から州随一の〃養鶏の里〃へ=南マ州=入植50年、盛大に祝う=来年には道路舗装も

ニッケイ新聞 2009年5月29日付け

 「評価ゼロの土地」から州随一の養鶏集団地へ―。南マット・グロッソ州のバルゼア・アレグレ移住地は今月二十三日、「入植五十周年記念祭」(沖島義智実行委員長)を約五百人の出席者を迎え、盛大に執り行った。アンドレー・プチネリ州知事、ジェルソン・ドミンゴ州議会議長、同移住地のあるテレーノ市のウンベルト・ペレイラ市長、JICA聖支所の千坂平通支所長らが出席した。第一陣として入植、現在も同移住地に住む金崎英司さん(71、山口)は、「開拓中に亡くなった人や移住地を後にした人もいるけど、みんなで五十年を祝うことができた」と喜んだ。

 バルゼア・アレグレ移住地は、旧海外移住振興会社(JAMIC)が一九五八年、約三万六千三百六十三ヘクタールを邦人自営農受入地として購入、造成した。翌五九年の五月十五日、第一陣九世帯五十四人が入植した。
 小沢太郎山口県知事(当時)が造成中に視察、移住者には長期貸付金を融資したこともあり、同県出身者が多く入り、「山口村」とも呼ばれる。
 入植後三年間、雨が降らず、不作が続いた。移住者の中には、代替移住地を求めたり、訴訟を起こす者もいたという。
 こうした動きから、六二年に外務省、JAMIC、在伯山口県人会(現・ブラジル山口県文化協会)などによる共同の実態調査が行なわれ、「(土地の)評価ゼロ」の判定が下されている。
 米やフェイジョン、綿などを作ったが、どれも移住地を潤すことはなかったが、飼料用のミーリョが安かったことから始めた養鶏が当った。六二年に産業組合を設立、年々成長を続け、現在では八十万羽を所有する州内最大の採卵養鶏集団地に成長した。
 文協会館で行なわれた式典では、先没者に一分間の黙祷、日ブラジル歌斉唱、記念碑の除幕が行なわれた。
 プチネリ州知事は、五十年間の貢献を褒め称え、来年には国道から養鶏場までの一・七キロをアスファルト舗装することを確約。「五十一年目はピンガの『51』同様、いいことがある」と会場を笑わせた。
 歴代文協会長、婦人部長、教育関係者への功労賞授与、七十五歳以上の高齢者への表彰状、記念品が手渡され、会場から拍手が送られた。
 第二部の食事会では、乾杯の後、それぞれが半世紀の歴史に思いを馳せながら、和やかに食事を楽しんだ。余興では、児童、婦人の舞踊などが行なわれ、最後はバルゼア・アレグレ音頭に合わせ、来場者が笑顔で踊りの輪を作った。
 八〇年代にJAMIC職員として二年間、同移住地に滞在した千坂JICA聖支所長も約三十年ぶりに訪れた。
 「若かった自分も色々ご指導頂いた。懐かしい、元気な顔を見て安心した」と話していた。