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日伯論談=第10回=日本発=堀坂浩太郎=グローバル時代の人材形成の場

2009年7月11日付け

 私が所属する上智大学には、日本では数少ないポルトガル語とポルトガル語圏のことを専門に教えるポルトガル語学科がある。その入学試験でのことである。
 「小学校のクラスメートにブラジル人の子がいたので」「自分の住んでいる町に日系ブラジル人が急に増えた。ブラジルとはどんな国か知りたくなった」―志望動機に在日日系ブラジル人の存在に触れる受験生が格段に増えている。
 デカセギ現象が起こる前までは、志望動機として多く語られたのは、ヨーロッパから日本に最初に渡来した一六世紀のポルトガル人の存在だったり、日本からブラジルへの移住の歴史であったり、あるいはサッカー王国ブラジルのことであったり、得てして漠然とした知識であった。
 『日伯論談』第五回に登場した二宮正人さんによると、入ったり出たりを繰り返して日本に在住した日系ブラジル人の数は延べ五十万に上るという。冒頭にみられるように、在日ブラジル人が日本人に及ぼしたインパクトは思いのほか大きなものがあるのではないか。 少なくとも私どものポルトガル語学科を志望する学生にとって、その存在は自らの進路をも左右する要素のひとつになってきている。
 ポルトガル語学科では、在学一年目の学生に、一万~一万二〇〇〇字に上る長文の研究レポートを書かせている。昨年の場合、五十九人の受講生のうち在日ブラジル人をテーマに選んだ者が七人を数えた。論題にブラジルを選んだ者が三十三人、ポルトガルを選択した者は十人だった。 これらの数値と比べても在日ブラジル人への関心が高いことが分かる。「日本の中のブラジル」に引き付けられているのである。
 景況の急速な悪化で仕事を失ったブラジル人の再雇用や、そのあおりを受けていっそう深刻となった子どもたちの教育が、火急に取り組むべき問題となっている。この点は、『日伯論談』の連載で論じられているとおりである。
 しかし、それと合わせて長期的な観点に立ち、在日ブラジル人の存在が日本人にもたらしたポジティブな側面も押さえておく必要があるように思われる。
 多人種・多民族社会のブラジルとは対照的に「内なる国際化」に全く立ち遅れた日本にとって、日系ブラジル人の存在は良しにつけ悪しきにつけグローバル化に立ち向かう上での課題を日本人に適度に提示し続けてきた。
 さまざまな「摩擦」を乗り越え共生を模索する動きが、在日ブラジル人集住地域を中心に起こってきているのは、その一例と言えよう。
 昨年十月、上智大学では「日系ブラジル人がみる日本移民百周年」と銘打ったシンポジウムを開催した。その中のパネルのひとつで「若い世代にとっての百周年」と題して在日ブラジル人の大学生たちに語ってもらった。
 いずれもデカセギ現象の中で来日した家族の一員か、あるいは自分自身が工場で働いた経験の持ち主である。学校でのいじめや言葉のハンディを乗り越え、日本人と異なるバックグラウンドを自らの財産として前向きに語る彼らの姿は、会場の大きな共感を呼んだ。
 神田外国語大学四年生のH君は、八歳、小学校二年の時に来日した。「自分の中には文化が三つある。一つは日本人としての文化、もう一つはブラジル人としての文化、そして三つ目に日系人としての文化である。三つとも誇りに思っているが、確立しているわけではない。中途半端な気持ちになってしまうこともある」と語った彼は、南米進出を視野に入れた企業への就職が内定していた。
 国際基督教大学三年生で社会学を専攻しているYさんは、「(自分の)アイデンティに関して迷い続けてきたが、大学入学時にある先生に『あなたはブラジル人とか日本人とかではなくて、自分で良いんだよ。あなたはあなただからだ』と言われて以来、肩の荷が下りた」という。そして「今は『私は私』であって、日本人、ブラジル人のどちらでもないコスモポリタンなのだ」と考えている。
 このほか早稲田大学や上智大学の大学院で学ぶ在日日系ブラジル人からの発言が続いた。そこにはグローバル化時代に生きる若者の自負が脈々と感じられた。数学を専攻とする早稲田大学博士課程のM君は、日本で学んだ数学の知識を、ブラジルの数学研究と結びつけることで両国の協力関係を築きたいと語る。
 グローバル・スタディーズを専攻とする上智大学大学院のT君は、日本社会のなかで形質的な違いを感じても、それは日系人にとってはすでに「ブラジルで経験を積んでいくなかで学んできたこと」であって、これによって在日日系ブラジル人が日本で「弁護士やエンジニア、教師や企業経営者、あるいは写真家になるのを妨げられるわけではない」という。
 彼らは今のところは在日日系ブラジル人の中では少数の例外かもしれない。そうとはいえ、「在日」という状況が人間形成の大きな「場」をもたらしていることを見事に立証している。
 シンポジウムを聞きながらデジャブ(既視感)を感じたのは、かつてのブラジルでの日本人移民の体験が思い出されたからであろう。
 日伯とも、金融不安を引き金とした世界同時不況に見舞われているが、今後も、グローバル化の波は収まらないであろう。
 しかも日本における新興国ブラジルへの関心は、過去二十年ではみられなかった高まりをみせている。こうした中で、「デカセギ現象」がきっかけとなって産まれた両国の新しい資質をもった人材の活躍が期待されるところである。

堀坂浩太郎(ほりさか・こうたろう)

 上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授兼同大学イベロアメリカ研究所所長。東京都出身。国際基督教大学を卒業後、日本経済新聞記者。一九七八年から八二年までサンパウロを拠点として中南米を取材。八三年に上智大学に転籍。専門はブラジルを中心に中南米の政治経済。

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