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ポンペイア西村農工学校=最後の卒業式、25人が涙の旅立ち=28年の歴史に幕下ろす=来年から州立技術大学に

ニッケイ新聞 2009年12月2日付け

 28年の歴史に幕―。西村農工学校(ホンダ・アルベルト校長)は、「第26期卒業式」を11月28日夜に開催、最後の卒業生25人(日系7人)を送り出した。家族や来賓、西村ジョルジJACTOホールディングカンパニー会長、ポンペイアのヤスダ・オスカール市長、大部一秋在聖総領事夫妻ら、約240人が出席した。農業界に優秀な人材を輩出してきた同校は、来年からFATEC(サンパウロ技術大学)マリリア校ポンペイアキャンパスへと生まれ変わる。

 同校は、1982年に西村技術財団の西村俊治理事長が創立した3年間の全寮制の農業専門学校。日本式の厳格な教育方針で知られる。今年の卒業生を含め、843人の卒業生を送り出している。
 式は、タキシード姿の生徒たちが母親をエスコートして入場。
 同校で教師を務めたヤスダ市長はあいさつで、「私が卒業した時も将来への不安はあったが、学んだ誠実さと献身で乗り越えてきた。常に責任から逃げてはならない」と教え子を激励。
 続いて、大部総領事は、「ブラジル農業の次世代のリーダーとなってもらいたい」と期待を述べた。
 西村会長、ヤスダ市長、大部総領事らから卒業証書がそれぞれに授与された。生徒たちが壇上で満面の笑みでガッツポーズを取る姿に、会場からは惜しみない祝福の拍手が送られた。
 首席で卒業したのは、ミレール・ヴィニシウス・ヴィドッチさん。職員の投票によるメリョール・アミーゴ賞はエドゥアルド・セオリン・チジェマンさんに贈られた。
 生徒たちによって選ばれたメリョール・アミーゴ賞をもらった長尾マルコスさん(18、三世)は「驚いた、嬉しい」と両親と共に喜んだ。
 ホンダ校長は「この3年間良くがんばった。君たちを称える」と述べ、西村会長は、28年に渡る同校の歴史を振り返り、車椅子で出席した創立者である西村俊治氏を称える割れんばかりの拍手が起きていた。
 なお、卒業生から、8日に99歳の誕生日を迎える俊治氏に同氏の胸像が贈られた。
 式の後、会場ではスライド写真が披露され、一枚一枚の思い出が詰まった場面に生徒たちは歓声を上げていた。

卒業生、父兄の喜びの声

 3年間の達成感を滲ませるのは箕輪エリオ大樹さん(19、三重)と鈴木アレサンデルさん(17、二世)。
 「最後の学年だったので、後輩がいなかったのが少し寂しかった」と話しながらも、「1年目が本当に大変だった。得られた一番大きなものは友情」と声を揃えた。
 教師一人一人の手を握り、感謝を伝えていたアンドレイ・オルトランさんは、「人格形成ができたと思う。自分のためになる学校を選べた」と感慨深げな表情を見せた。
 卒業生ジェファソンさんの母牛腸眞理子さん(43、二世)は、厳格な校風に惹かれ同校への進学を薦めたという。
 「農業技術に加え、家事など何でも1人でできるようになった」と嬉しそうな笑顔を見せた。
 「今まで5回卒業式に出席した」という小橋節子さん(二世)は、「今年の卒業式は最後だからか毎年と違う。卒業生たちの顔に、責任を果たすぞという意気込みがあった」と目を細めていた。
 7年間、同校で化学を教えてきたミムラ・ノリコさん(55、二世)は、「同校の教師を務められて良かった。学校が無くなってしまうのは本当に寂しい、涙が出ます」と目頭を押さえた。
 西村会長は、「10年前からこの日が来るのは予想していた。父(俊治氏)も『新しい芽を出すためには、古い枝を切り落とさなければいけない』と話していた。ポンペイアに最高学府をつくるのが父の夢でもあり、州の大学に生まれ変わることを喜んでいる」と述べた。

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