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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年3月31日付け

 弊紙の前身、日伯毎日新聞の中林敏彦社長が得意とする論に「ブラジル溶〃魂〃炉説」があった。「この国にきて、いつまでも字をタテに書いているというのは、間違いなのです。わたしらは日本回帰を唱えてみたって、どうにかして融和して、この国の新聞になってゆくのが当然のことなんです。何をしてみたって、ブラジルという魂を溶かす炉にはかなわんのですよ。ですから粛然として死を迎えますよ」と1980年9月に日本の研究者に語っている▼当時すでに邦字紙の経営は厳しく、いずれ廃刊することを前提に語られていた。中林氏が1933年に渡伯してカフェランジアに入植したばかりのころ、最初に出会った邦人記者がバウルーの駅で駅ダネを拾っている内山勝男氏(後のサ紙編集長)で、最初に編集の仕事をした香山六郎のサンパウロ州新報での上司は、藤井卓治氏(元県連会長)だったのは有名な話だ。以来一生をかけて邦字紙界に携わり、最後にそのような心境に達していた▼それから30年が過ぎても2紙が生き残っている。今もって「タテに字を書いている」が、ルビを振ってからは各地の日本語学校で教材として使うようになったとか、「今なら読める」と喜ぶ二世読者の声を多く聞くようになった。日本語のまま、多少なりとも「この国の新聞」に近づいてきたと実感する。中林社長が当時描いていた将来像から、かなりズレてきたに違いない▼弊紙編集部の松田正生記者は20日、日系三世女性とめでたく結婚し、この国に根を張った。今も新来日本人の苗床であり続けている邦字紙というあり方もまた、当時からすれば予期せぬ姿だろう。(深)

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