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和梨導入から40周年=ラーモスの小川家から=大雹害を超えて栽培=「日本より糖度高い」

ニッケイ新聞 2010年4月24日付け

 先日までリベルダーデの日本食商店でも販売されていた、「ひょうたん」が目印のサンタカタリーナ州ラーモス移住地産の和梨「豊水」や「20世紀」。濃厚な甘さの熱帯フルーツとは違う、あっさりとした甘さとシャリシャリした口答えは、和梨ならでは。「豊かな水という名前の如し」との評価も高く、洋梨とは違った風味が日本移民を中心に愛好されている。和梨導入40周年の歴史を振り返ってみた。

 同移住地の『40年の歩み』(51頁)には1971年9月に「20世紀」、75年に「幸水」、77年に「豊水」が試験導入されたとある。JICAプロジェクトで梨の指導をした安延義弘氏の報告が『農耕と園芸』2004年5~7月号にあるが、ここには70年に「20世紀」、73年に「幸水」、77年に「豊水」とある。
 いずれにしても和梨導入は1970年頃であり、今年はほぼ40周年といえる。導入の功労者は同地の小川和己、渡、公共3氏といわれる。3人とも梨経験は皆無のため、試行錯誤の連続だったという。
 実際に市場に出回るようになったのは80年代後半から90年代初めにかけて。その頃には小川家以外にも生産者が広がり、96年にはJICAの南伯小規模園芸プロジェクトがカッサドールEPAGRIを拠点に開始されたことにより、栽培技術や施肥・病害虫対策などが飛躍的に改善された。
 98年には11人の生産者によりラーモス梨生産者協会(APRO-Nashi)が発足し、99年にはJICA、EPAGRI、同協会共催の第1回試食会が行われた。
 以後、断続的に試食会が行われ、州都フロリアノーポリスのスーパーでも実施された。だが当時、中国からの逆輸入野菜が日本国内で問題になったあおりを食って、01年にJICAプロジェクトは中途半端な形で終了してしまった。
 その状況を憂慮していた安延氏が07年に自費で来伯し、一週間にわたって生産者指導をしてくれ、JICAも08年、09年と梨短期研修としてラーモスから4人ずつ2回訪日研修した。関東周辺および梨の本場鳥取県の各大学農学部の試験場、梨栽培農家での研修は、ラーモス生産者にとって大きな自信となり、地元に成果を持ち帰っているという。
 約8年前、小川農園は全ての梨の袋がけが終わった翌日に大降雹に見舞われ、大切に育てていたものが全滅したことがあった。毎年のようにどこかの園で雹被害をうけるため、防雹ネットの設置が進められている。
 一日の温度差が激しいために日本より糖度が高くなり、美味しいとJICA派遣専門家のお墨付きをもらっているラーモス移住地の和梨。現在の梨生産者は7家族だが、この研修の成果として新栽培法を学んだことにより、生産者が増えるのではと期待されている。

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