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巨星墜つ=ポンペイア市 須賀得司

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け

 氏は4月23日、路ひとすじに生き抜いた99歳の輝かしい生涯を閉じ昇天されました。
 1910年京都の宇治市に生れ21歳の時、独りで力行会移民としてブラジルに来られ人並みに新移民の苦労をされた。
 1939年当時鉄道の終点であったポンペイア市に降り立ち、「何でも直します」の小さな修理屋から始まって、1949年噴霧器の製造を手掛け、ジャクト農機会社を創立した。
 艱難辛苦しながらも躍進し続け、ブラジルコーヒー農界に革命をもたらせたコーヒー収穫機を始め、コンピューター制御による超大型消毒マキナまで造り、世界百数カ国に輸出するラテンアメリカ屈指の大企業に育てあげ、ブラジル農業に大いに貢献して居ります。
 一方で齢70歳にして養国ブラジルに御恩返しとして農村青年の教育を目指し、独力で技術財団による農工高校を創設。「知行合一」のユニークな教育方針は、広くブラジル中に認められ、日系のみならず全伯から応募者があり、昨年までの26期生で延べ843名の逞しい行動力のある青年をブラジル社会に送り出しました。
 「雨風寒暑ものともせず体を通し知識を得んと額に汗し、手に豆つくりの3年間の全寮制できたえあげられました」。翁曰く、人間能力は大差のあるものではない、要は努力であると。
 1日の24時間、8時間の労動と8時間の休養睡眠は誰も同じで、残る8時間を如何に使うかによってその人の一生が決まるのです。「努力惜しまず夢失はず、その夢で始まり情熱で続き責任感で完成する」が翁が好んだ人生訓でした。
 又、人間は一人では育たない、友人が大事と、頂いたお手紙には必ず返事を書き、コピーをして保管するのが常でした。
 事業家としては「お客様は神様だ」と仰り、丁寧にもてなし、お帰りには必ず、何がしかのお土産を用意するのが習慣でした。
 こうしてずぶの素人が始めた教育事業でしたが、周囲の皆さまのお蔭でどうやら軌道にのると又次の夢へ!
 1989年には西村俊治小中学校を創立、2005年には無料で学べる西村智恵子職業学校、SENAIを創設、地域の教育、人材育成に努力して参りました。そして従来の農工高校は今は州立サンパウロ技術大学「FATEC」ポンペイア分校に昇格し地域の若者たちに役立っています。
 こうして事業面、教育面のみならず、サンタカーザその他慈善事業の福祉面でもとても理解が深く協力を惜しみませんでした。
 私達ポンペイアは元より広く日系コロニアにとりまして「巨星墜つ」の感じが致します。生前の偉大なる功績に対して深甚の感謝と共に、これからも主のみもとにあってどうかいつまでも私達をおみちびき下さい。

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