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日本語教師リレーエッセイ=第1回=地域協力して盛上げ=ブラジル学校と共に=ピンドラーマ日本語学校=朝倉恵

ニッケイ新聞 2010年6月5日付け

ピンドラーマ日語校の生徒たち

ピンドラーマ日語校の生徒たち

 ニッケイ新聞では今月迎える102周年の「移民の日」を記念して、本日から「日本語教師リレーエッセイ」を開始する。日本移民150周年を祝うためには、今現在の日本語教育の現場が大事であり、その重責を担っているのは日本語教師たちであるとの考え方にたち、各地で奮闘する日本語教師と、それを支える地域コミュニティとの協力体制の実例を報告しもらい、広く読者に知ってもらうことに主眼を置いた企画だ。この協力体制を充実させることで、教室の窓からからは、明るい日系社会の未来が見えるようになるに違いない。(編集部)

 私が勤めているのは、モジ・ダス・クルーゼスのセントロから車で40分ぐらいの農村地域にある、日本人会経営のピンドラーマ日本語学校です。
 ピンドラーマは1947年に入植し、今年で63年目になり、会員数90家族です。施設は日本人会館、体育館、老人会館、日本語学校、グランドがあります。ブラジル学校(幼稚園も含む)は、以前は日本人会所有の土地を寄付し、学校を建てました。日本語学校との位置関係は、道路を隔てた向かい側に高校まであります。
 日本語学校は約20年前までは、100人を超える生徒数でしたが、約十年前には、ブラジル学校が授業できない状態だったので、父兄の一部が子供達をモジ市内の学校で勉強させるようになり、生徒数が3、4人というところまで減りました。これでは日本語学校閉鎖ということになるので、役員の方々が、一軒、一軒家を回り、生徒数を10人まで増やしました。最近数年は、ブラジル学校も正常化し、生徒数30人前後を維持しています。
 6年前から日本語学校の授業に、音楽とスポーツを取り入れました。音楽は、歌(童謡・J―POPなど)を歌ったり、電子ピアノ、リコーダー、トライアングル、ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)、タンブリン、鈴、カスタネットなどの楽器を使った演奏を練習しています。発表の場として、日本語学校の資金稼ぎであるジャンタールをはじめ、運動会(ダンス)、焼そば、母の日、父の日、忘年会などの日本人会行事です。スポーツは、主に陸上で、短距離、中距離、幅跳び、砲丸など、いろいろな種目があります。授業以外に月1回、モジ全体での練習もあります。また、興味、関心のある中高生は、週1、2回モジの大学で練習しています。練習成果発表の場として、モジ文協、日本人会の協力で、いろいろな大会に参加しています。
 音楽・陸上を通して、生徒一人、一人の好きなもの、得意なものを見つけだし、励ましながら指導しています。また、日本語センター主催の全伯作品コンクールに参加することも、生徒達の励みの一つになっています。
 しかし、これらの行事を行っていくのに、教師だけではとてもできません。JICA青年ボランティア、日本人会、婦人会、生徒の父兄の方々の協力がなければ成り立ちません。JICA青年ボランティアの派遣により、4歳~17歳までの年齢差、能力差(入門から日本語能力試験3級合格)の複式授業だったのが、能力によって2クラスに分けることができ(今でも複式授業ですが)生徒一人一人を指導することが可能になりました。
 日本人会は、体育館、会館で生徒達が、休憩時間にサッカーや卓球ができるようにと、自由に使えるようにとの配慮で、カギを預かっています。また、日本語学校で使う教材、その他の雑費、年に1・2回父兄・生徒達がバスで遠足(海・プールなど)に行く経費、陸上大会に参加する為のバス代など全て日本人会が負担してくれています。
 婦人会には、日本語学校の資金稼ぎのジャンタールで、何日も前から準備にと労力の負担をかけています。
 父兄の方も、毎日の送り迎え(遠方の生徒は車で15分~20分ぐらいかかります)、行事に参加する時も、ほとんどの家が農業なので、どうしても父兄が連れて行くことが出来ないという場合があります。そんな時は集合場所まで、子供を連れてきて、そこから他の生徒の車に一緒に乗って行ったり、通り道であれば、その家に寄ったりと、親同士が連絡を取り合って子供達が行事に参加できるようにと協力してくれます。
 また、地域のブラジル学校(幼稚園も含む)の行事に日本語学校が参加したり、日本語学校の行事にブラジル学校が参加したりしています。日本人会の体育館、会館、グランドなどを、ブラジル学校の行事(卒業式・子どもの日など)で使用しています。
 治安面では、日本人会会員が中心となり、地域住民の資金協力で2年前に、ブラジル初の日本式駐在所が完成しました。そのおかげで、地域全体の治安面がかなり改善され、ブラジル学校はもちろん、日本語学校の生徒の下校時にはパトロールもしてくれています。
 私達の地域ピンドラーマでは、日系人は日系人、非日系人は非日系人という分け隔てなく、ピンドラーマの住民として、みんなが協力し合って「少しでも子供達に良い環境を、いろいろな経験を」とがんばっています。

【朝倉恵】
44歳。大阪府。2005年から日本語学校で音楽、体育を教えていました。その後2007年から日本語も教えています。出身地短大(保育士、幼稚園教諭免許取得)卒業後、4年間養護施設勤務、その後2年間小学校で介助をしていました。1992年に結婚してブラジルに移住。

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