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日本語教師リレーエッセイ=第5回(下)=人を育てる継承日本語教育=スザノ金剛寺学園=伊藤万理子

ニッケイ新聞 2010年7月24日付け

 日本語教育をやっていて、言葉の大切さを日々感じています。言葉は人間の生きていくための大切な道具です。自分の気持ちを伝えるためにも使う道具です。伝わらなければ言葉ではありません。気持ちを伝えたいときには、行動で示していかなければ、伝わらない言葉もあるのではないでしょうか。
 こんなことがありました。今年1月、長い夏休みも終わりかけのころ、学校へ行ってみると異様な雰囲気でした。前の空き地が雑草だらけゴミだらけで、手の付けようがないぐらいひどい有様でした。
 先生達と相談し、市役所に早く清掃していただけるよう申請しました。けれども今年の夏は60年ぶりの大雨でいたるところにその被害があり、市役所の方も大忙しだったんでしょう。なかなか来てはくれませんでした。「それでは自分たちでやるしかない。」ということで、長く伸びた雑草を少しずつひき始めました。(強制したわけではなく、生徒も先生も、迎えに来る父兄の方も自主的にやりました)
 1カ月位たったころでしょうか、やっと市役所が清掃に来てくれました。ここまでは、「わあ、良かったね。すっきりして気持ちがいいね」ですんだのですが、これからがまた変化が現れたのです。
 雑草はまた見る見るうちに生えてきました。でも学校だけでなく周りの人たちも草をひき始めたのです。そして今度は花を植えるようになりました。これも学校が子供たちと一緒に「あさがお」の種を植えたのがきっかけでした。おかげで雑草はなくなり、花も咲きここ半年で見違えるようになりました。
 市役所の依頼で5、6年前にこの空き地を整備してくれていた日系人の方が話していました。「周りの人たちの様子が変わった。前は、日本語学校が休みなので水をかけたいから譲ってほしいと頼んだ時は、絶対くれなかったのに、今は自分たちでホースをひいて水かけをしている、驚いたね」と・・・。これはブラジル社会に日本文化が伝わった瞬間ではなかったのかなあと思いました。
 日本では、自分たちの周りの事は自分たちで守っていくという習慣が身についています。日曜日の朝など近所が集まり道路掃除をし、町内の美化に絶えず努めています。ブラジルにはこのような習慣はあまり見られません。こんなところから日本の文化が伝えられていくことができるのだと実感させていただきました。
 継承日本語教育は伝えていくということに意義があって、語学力を身につけるだけではなく、言葉から文化を知り人々が協力しあってよりよい社会が築き上げられるような人材を育てる教育だと思っております。
 それでは、その継承日本語教育をすすめるためには、何が必要かというと、「移住学習」だと思います。
 私たちの学校では「移住学習」として移民百周年のときに「わたしたちのおじいちゃん、おばあちゃんについて」学習してみました。日本の出身地はどこ、いつきたのか、何世になるのかなどを探り日本地図にまとめてみました。高学年には、「おじいちゃん、おばあちゃんへのインタビュー」として移住してきた当時のことを質問しながら話してもらい、作文にするという学習でした。
 これをやってみて感じたことは、今まで知らなかったことに興味がわき、自分のルーツを知って家族に対する感謝の気持ちが芽生えたと思いました。今まで話もしなかった祖父母との会話もでき、聞かされていなかった移住当時の話を聞いて絆が深まった様な気がしました。
 (1)移住学習の意味として日系人が残してきたものは何かを調べることにより、そこまでたどり着いた道のりを知ることができる。
 (2)移住の歴史を知ることで、今現在の生活が当たり前に過ごしていることに対する考え方が変わり、違う方向から自分の生活を見つめることができる。
 (3)移住の歴史が何を教えてくれるのかというと、感謝の意と尊敬の意がもてるようになる。
 これらの事を踏まえてどんな活動ができるのかを考えたところ、「私たちの学校の歴史」から入ろうと考えました。
 昨年終業式に「タイムマシーン」という劇を高学年の生徒達が中心になって制作し発表しました。ストーリーを少し話させていただきます。
 2040年代、未来の生徒達は日本語にあまり興味を持たないことに教師は危機感を感じていた。どうすれば子供たちに興味を持たせることができるのか悩んだ末、「タイムマシーン」で過去へ送り込むことにした。そこで生徒達は、1970年代、自分たちの日本語学校がたてられる様子や、その当時の先生やお母さんたちの日本語学校に対する熱い思いに触れるというストーリーです。学校の歴史的なクイズなども取り入れながら制作発表してくれました。
 この活動を通して、生徒達も知らなかった学校の歴史を知ってどんどん興味がわいてきたのではないかと思いました。また違う方向からの移住学習を進めていきたいと思います。過去だけを振り返って前に進めないかもしれませんが、大切なことは大切なこととして残していくことも大事だと思います。
 これからの時代を担う生徒達は日本語を母語としないブラジル日系人なのです。ブラジルの社会に根付き、いろいろな分野で活躍していくことでしょう。日系社会のリーダーとなるものだけでなく、ブラジルのリーダーとなるものも出てくる可能性はあるのです。そういう未来の生徒達がブラジルの文化と日本の文化、二つの良いところを引き出し、どちらも共通できるような人材をそだてるのが継承日本語教育だと思っています。私は、未来の子供たちのほんのわずかな時に出会えたことだけで喜びいっぱいです。
 子供たちに良く聞きます。「日本語学校楽しいですか?」「はい、楽しいです」「何が一番楽しいですか?」「友達と遊ぶことが一番楽しいです」と答えてくれます。いつまでも楽しい学校づくりを心掛けたいと思います。(おわり)

写真=スザノ金剛寺学園の生徒たち

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