ホーム | 連載 | 2010年 | 日本語教師リレーエッセイ | 日本語教師リレーエッセイ=第6回=学習者のニーズに応える=楮本浦部恵美=アラサツーバ日本語普及センター

日本語教師リレーエッセイ=第6回=学習者のニーズに応える=楮本浦部恵美=アラサツーバ日本語普及センター

ニッケイ新聞 2010年7月31日付け

 私は楮本(かじもと)浦部恵美と申します。サンパウロ州サンパウロ市で生まれ、現在、ノロエステ地区アラサツーバ市のアラサツーバ日本語普及センターで働いています。
 52歳ですが19歳から日本語学校で教師として勤めています。
 サンパウロ市の東本願寺とサウーデ文化協会日本語学校の幼児クラス等も受け持っていた時期もありましたが、アラサツーバでは1994年から音楽教室を担当しています。音楽を通して、日本語の勉強を少しでも楽しく、そして、日本語を「聞く」ために役立つのではないかと思い、歌とリコーダーを教えています。
 お恥ずかしいことですが、私が感じていることを述べさせて頂きます。
 ノロエステ地区の日本語学校がどんどん閉校され、残っている学校では生徒が減少しています。私の学校も10年前とくらべると、生徒数は180人から46人になってしまいました。理由はいくつかあると思います。
 奥地のほとんどの文化協会は先ず、日本語学校から始まったと言われています。それは、移民としてこられた方々は、いつかは日本へ帰って行くと信じて子孫に日本語を勉強させました。102年が過ぎ、残念ですが、今では日本語を勉強する必要性や価値観が見えなくなってしまっていると思われています。でも、それは日系人の考えではないかと思います。非日系の皆様は、経済的、文化的、そして伝統にあふれている日本に、日系人以上に日本語、日本について興味を持つようになりました。
 他の国では成人の学習者が多く、今のブラジルもそのようになってきているようです。
 そこで、初めに申しました学習者が減少している所はほとんど文化協会、あるいは宗教団体の学校のことであり、私立校は反対に学習者が増えてきています。どうしてでしょうか。
 今は日系人の文化協会や宗教関係団体はどのように日本語学校を見ているのでしょうか。
 時代の移り変わりと言えばそれで終わりでしょうが、昔は学校がメインであり、そのためにいろんな資金稼ぎ、行事など行われていました。今では、学校よりも、踊り、社交ダンス、カラオケ等が流行っていて、人気です。学校への関心も薄くなり、それに一番大変な「仕事」ですので、協力者に割かれています。
 それでも協力者はボランティアで、数少ない人たちで大変な活動を行っています。役員の皆さんほとんどの人たちは70歳以上のお方です。開拓当時の目的をまだ受け継いでいます。でも、このままでは学校の運営、経営ができないことははっきり見えています。
 私立校は専門的に経営し、運営し、文化協会等の学校はまだまだ、昔のように経営、運営しています。
 これからの学校は専門的、私立校のように運営しなければもっともっと大変なことになるのではないのでしょうか。
 もう一つの大きな問題は教師の資格と給料に大きな問題があると思います。
 学校に関する部分は専門家に任せ、教師にはブラジルの私立校以上(週末や休日に行事が多い為)の給料を出し、正式に労働登録をし、日本語教師として生活できるようにしなければ日本語教師募集が難しくなってくるでしょう。
 昔の先生は、専門教師ではなくても、日本語を話し、「読み書き」ができれば先生になれました。有り難いことに、ボランティアで、無料で教えていました。そして、学習者は月謝を払っていませんでした。
 その感覚が未だに残っていて、月謝は安く、先生の給料も少なくていいと思われています。
 それから、今の学習者は昔と違って、日系人も非日系人も、同じく日本語を話せません。家庭で使っていません。日本語は外国語です。
 先生は日本語を話し、読み書きができても、外国語として教える技術も持っていなければなりません。価値のある給料を出さなければ、別の仕事を求めます。無理のないことです。よほど余裕のある生活、そして、「日本語を教えたい」という夢と希望をもっている人でなければ、先生にはなれないでしょう。
 それだけではなく、児童生徒は親、祖父母の希望によって日本語学校に通っています。外国語として、楽しく、面白く教えなければなりません。
 それに他の語学教室とちがって、日本の文化的教育をめざし、子供たちを学校に入門させます。つまり、日本の情操教育を求めて通わせます。歌、踊り、工作等、それに、日本人が大事にしてきた「心」となるもの、つまり、勤勉で、まじめで、優しくてお年寄りを敬い、思いやりのある精神的教育も求められています。大変な役目を果たさなければなりません。
 それと又違って、成人は、「読み書き」、「会話」等の学習は言うまでもなく、日本の伝統文化について色々覚えられるために学校へ来ます。
 現在の学習者のニーズに応えられないまま、学校を経営しているのが事実です。
 私たち、日本語教師は本当に何でもできるアーチスト、物知り博士でなければいけませんか。それとも、やはり、他の学校と同じようにそれぞれ、専門の科目を受け持ち、自分の出来ることを生かすことが出来れば、学校全体のレベルアップへと繋がってくるのではないでしょうか。

image_print