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「55周年を省みて」=第1回コチア花嫁移民=芦川道子さん

特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け

 第1回花嫁移住者ということで、私のような不束者が、気性や器にそぐわない大役を仰せ付けられ、その重さにため息ばかり、眠れぬ幾夜から明けてしまいました。
 まずは、御来賓の皆様方にはご多忙のところ、貴重なお時間を私達の式典のためにさいて御来場下さり、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。有難うございました。
 そして、今日の佳き日に「コチア青年移住55周年ならびに花嫁移住51周年記念式典」を盛大に開催できましたこと、誠におめでとうございます。伴侶たる私達にとってもこの上なく嬉しく、本当に長い長い過酷な道のりを、良くぞここまでと手を取り合って大空に向かって、この喜びを叫びたい心境です。
 2人で歩き出したこの道、奥様方にとっても良くぞ良くぞ、半世紀も頑張ってこれたものと感慨もまた、ひとしおのことと思います。
 思えば私達12名の第1回の花嫁は、1959年4月23日、サントス港に着きました。
 この年の事は大勢の方々が鮮明に思い起こすことでしょう。何故かといいますと、同年の4月は、今上天皇、皇后両陛下の歴史的な世紀の御成婚で日本中が祝賀ムード一色の真っ只中でした。
 私達仲間も同時に御相伴に預かり、日本中の人々から祝って頂いた気持ちで、ブラジルでの第一歩を踏み出しました。
 私の年代の大半は、戦前、戦中、戦後の動乱や過酷な時代を余儀なくされてきたので、自然と心身共に鍛えられていて、お陰で、当時のブラジル生活にもずいぶん役立ったものと、振り返って思い起こされます。
 今となっては、半世紀を省みてなどと鮮明で明確な記憶は想い出せませんが、恥をかいて覚えたことがあります。
 私達がトマトつくりの日雇い人夫をしていた頃、仲間のブラジル人労働者から、トマトの値段をきかれて、さあ大変。全面的にあなた任せの軽い気持ちで来てしまったので、面食らってしまいました。
 その頃、1箱450~480ミルレースとかコントとか、名称は覚えがありませんが、480などの半端よりは500ぴったりの方がいいだろうと、咄嗟にシンコセントと言ってしまったのです。
 その仲間は、ほぼ仕事終わりの時間でもあり、離れていた仲間と一緒に爆笑。夕食後その一件を主人に話したら、「そりゃ当り前だよ」と、プカリプカリ煙草をくゆらせながら、涼やかな顔だった。
 生活も多少落ち着き、気分的にも余裕が出たのか、ある時、可愛い可愛いカブトムシ型ワーゲン車で乗り付けてきた。融資で購入とか。
 家族中始めてのパッセイオ。2人の娘達はワイワイ、ガヤガヤ。あれ食べ、これ食べ、やかましくも楽しそう。
 曲がりくねった舗装道路を気持ち良さそうに飛ばす主人のほくそ笑む顔。黙ってニコニコ顔の私。
 急に、あれっ、一寸一寸。「レトルノ」と、さっきから見ているとずいぶんたくさんの看板があるが、余程有名な町なのか、どちらからでも、この町に通じるアスファルトの立派な道があるんだね。途端、車の天井が抜けるような家族の大哄笑。
 このように、少々ネジの緩んだ、どことなく足りない他国での私の珍道中振りです。
 後期高齢者という言葉は余り好きでない私も、情けなくもその仲間入りした今もなお、道中は続けられており、時々周囲を笑いに誘っている始末です。
 私達、コチア青年ファミリーも、健康には充分気をつけ、より深い親睦が末永く続けられますように。また、今回は三世の日本訪問も企画されております。コチア青年のファミリーも、後継者の問題が大きな課題となっております。どうか、二世、三世と受け継がれていきますよう、念願します。
 最後になりましたが、この式典に役員その他の関係者の多大なお骨折り、誠に有難く、近隣の会員の方々に感謝申し上げて、挨拶にさせていただきます。

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