ホーム | Free | 西本願寺=み教えは生きるよりどころ=第5回南米門信徒大会=大谷光淳第25代門主が来伯

西本願寺=み教えは生きるよりどころ=第5回南米門信徒大会=大谷光淳第25代門主が来伯

挨拶をする大谷光淳第25代門主

挨拶をする大谷光淳第25代門主

 浄土真宗本派本願寺(西本願寺)南米教団(梶原マリオ総長)は「第5回南米門信徒大会」を今月9日、聖州アチバイア市内のホテル「Bourbon Atibaia Convention & Spa Resort」で開催した。2014年に就任した大谷光淳(おおたにこうじゅん)第25代門主(41)が初めて来伯。全伯とアルゼンチンから門信徒約800人が集まり門主就任を祝福するとともに、ブラジル開教の志を新たにした。

厳かに執り行われた移民110周年記念追悼法要

厳かに執り行われた移民110周年記念追悼法要

 門信徒大会は門主の来伯に合わせて開催されていて、今回は大谷光真(こうしん)第24代門主を招いた2007年の時以来、11年ぶり。スローガン「うけつぐ伝灯、伝えるよろこび」には、門主の務めを第25代が受け継いだことと、ブラジルに教えを伝えることの2つの意味が込められている。
 大会は午前9時に始まり、ブラジル各地とアルゼンチン・ブエノスアイレスから門信徒800人が出席した。第25代門主は挨拶で「浄土真宗のみ教えは、南米の地で多くの方の生きる依(よ)りどころとなります。大会を機縁として、み教えがより多くの方々に伝わることを願っております」と話した。

門信徒800人が集まった

門信徒800人が集まった

 ブラジル日本移民110周年記念追悼法要では、梶原マリオ総長が正信念仏偈を唱え、来賓と教団理事らが焼香した。門信徒らも念仏がローマ字で掲載された大会パンフレットを見ながら一緒に唱えた。
 その後、福井教区若狭組覚成寺(かくしょうじ)の内藤知康(ちこう)住職による基調講演がポ語通訳付で行われた。「キリスト教と異なり、仏教は国によって経典が違うが、迷いから悟りを目指すという構造が共通している。私たちが間違ったものの見方をしていることを迷いと言い、正しい見方をする状態を悟りと言う」と仏教の基本的な考え方を述べた。
 また、「仏教は成仏道、すなわち仏(ぶつ)に成る道を目指すもの。成仏道は山の麓から頂上への通じる道のようなもので必ずしも一本ではない」と諭した。
 梶原総長は「ご門主がいらっしゃったことで、すべての僧侶と門信徒がますますブラジルの地にみ教えを根付かせようと気持ちを新たにした。若い人にもさらに伝えていきたい」と話した。

正信念仏偈を唱える梶原総長

正信念仏偈を唱える梶原総長

講演する内藤住職

講演する内藤住職


三浦住職の法話コンサートも=手拍子で若者盛り上がる

三浦住職による法話コンサート

三浦住職による法話コンサート

 同じころ別室で、龍王山光明寺(りゅうおうざんこうみょうじ)の三浦明利住職が、青少年向けに法話コンサートを行った。三浦さんは05年に住職に就任し、11年に歌手メジャーデビューした異色の経歴の持ち主。
 三浦さんが作曲、南米開教区一同が作詞した「ともしび~A chama~」など日ポ語が入り混じった曲や、童謡などを美しい歌声で歌った。後半にはギターによるアップテンポな曲を演奏し、若者たちは手拍子で盛り上がっていた。
 ビュッフェ形式の昼食を楽しんだ後、帰敬式(ききょうしき)と参加者全体を対象にした三浦さんの法話コンサート、交歓会が行われた。閉会式では重誓偈(じゅうせいげ)が唱えられ、皆で恩徳讃(おんどくさん)を歌って締めくくった。
 08年から6年間総長を務めた松峯慈晄(まつみねじこう)さん(83、奈良県)は66年に来伯。以降、ブラジル各地、ペルー、アルゼンチンで開教を続けた。現在は自宅で説法を説いたり、お盆の法要を行ったりしている。
 長い開教歴の中で最も苦労したのが73年に完成したブラジリア本願寺の建立だった。松峯さんは建築のための木材を運搬中にゴイアス州で事故にあった。サンパウロの病院に搬送され、生死をさまよった末に一命を取り留めた。隣に座っていた僧侶は即死だった。「今はブラジリア寺院が非日系人への開教拠点になっている。あのときの苦労があったからとしか言いようがない」と感慨深げに話した。
 門主から法名を授けられる帰敬式には68人が参加し、新たに仏弟子となった。そのうちの一人、森岡明子さん(61、三世)はピラール・ド・スール仏教婦人会で7年前から活動を続け、「集まったときは説法を読んだり、バザーをして運営資金を作ったり、みんなでワイワイ楽しいですよ」と笑顔で話す。
「自分の子供は仏教徒ではない。仕事が忙しいみたい。でも教えを学べば日々をもっと安心して過ごせる。若い人にこそ知ってもらいたいわ」と話した。


「時代と場所を超えて伝えたい」=大谷光淳第25代門主に聞く

大谷光淳第25代門主

大谷光淳第25代門主

 大谷光淳第25代門主は14年6月の法統継承式を経て就任した。今回は2002年に巡教して以来16年ぶりの来伯だが、門主としては初。9月1日に到着し、10日間で聖州とパラナ州内10カ所を訪問し、各地で帰敬式を行った。帰国前日の9日、ブラジルでの巡教や海外での開教について大谷光淳第25代門主に聞いた。
――今回の来伯の目的を教えてください。
「父の後を受けて本願寺派の門主になり、京都で皆様と一緒に阿弥陀様にご報告する法要を80日間お勤めをした。今回の目的はブラジルの開教区の方々にそのことを知ってもらうことと、門主として私の言葉で直接教えをお伝えすること。ブラジル以外ではカナダ、ハワイ、台湾、香港に既に行った。来年は、ネパールとアメリカ本土に行く」
――ブラジルの印象を教えてください。
「街ごとに大きさや日系人口が違い、多様だと感じた。週末に行ったお寺ではたくさん若い方や子供さんに来ていただいた。言葉がわからなくてもお寺と言う場所が代々、大事にされていると感じた」
――ブラジルを含む海外で教えを広めることにどのような意義がありますか。
「最近では非日系人が仏教に興味を持つことが増えている。本願寺派の場合は台湾、香港、ヨーロッパでそういう状況になっている。非日系人にとって、仏教あるいは浄土真宗は先祖代々伝わっている教えではないので、純粋に自分自身が教えを求めて、仏教が生きる支えになっている。
 ブラジルにおいても日系人のなかで受け継がれている面もあるが、一人一人が浄土真宗の教えを支えにしてほしい。私たちが生きていくうえでどうしても自分自身の思い通りにならないこともある。また、すべて自分自身の思い通りになったとしても幸せな人生だとは思われない。
 どの時代であってもどこに住んでいても、私たちが生きていくうえで悩み苦しみはある。その時に支えになる教えが浄土真宗であり、時代や場所に関係なく教えが伝えわっていけばと思っている」
――ブラジルの開教区をどのように支援しますか。
「これからの時代は日系人も日本語ができない人が増えていく。また非日系人にも教えを伝えていくことができる。ポルトガル語を中心とした教えの伝え方が当然必要になってくる。また、ブラジルの習慣に合わせた教えの伝え方が必要になってくる。
 今回の大会で、私が書いた本(16年著書『ありのままに、ひたむきに: 不安な今を生きる』)のポルトガル語版を記念品としてお配りした。そういう形でも、教えというものを日本語がわからない方にも知ってもらいたい」


南米教団と門主巡教の歴史=世相を反映する布教活動

サンパウロに到着した第23世門主(54年、『南米教団六〇年史』より)

サンパウロに到着した第23世門主(54年、『南米教団六〇年史』より)

 戦前の日本国外務省が僧侶のブラジル渡航を許可しない中にあって、最初に渡伯した真宗僧籍を持つ門徒移民は1914年の伊藤助一だった。戦前から熱心な僧侶や篤信な真宗門徒らが各地で布教活動を行っていた。
 終戦後、1950年になるとそれらを統一することを目的にした「全伯仏教会」が発足した。
 54年、大谷光照(おおたにこうしょう)第23世宗主が初めて来伯し4カ月にわたって各地を巡教した。敗戦で祖国に帰ることをあきらめた日本移民にとって、寺院は心の依りどころだった。
 一方、勝ち組と負け組み対立が尾を引いていて、開教活動に影響を与えていた。第23世門主の巡教においても、行事を行う予定だったツッパンの青年会館が前日に燃やされたり、「行事はない」とデマを流され参拝者が少なかったりした。第23世門主は心を痛めたが、その後4回も巡教のためにブラジルに訪れている。

第24世門主の巡教の様子(83年、『南米教団六0年史』より)

第24世門主の巡教の様子(83年、『南米教団六0年史』より)

 70年代になるとすでに多くの開教師が日本から来ていて、人々はブラジルにおいても日本と同様にみ教えに触れていた。そこで、83年に始めて来伯した大谷光真(こうしん)第24世門主は、門信徒が求めている不安の解決を説法に込めて巡教に当たった。第24世門主もさらに3回来伯している。
 今回、大谷光淳(こうじゅん)第25代門主が就任以降初めて来伯した。一世の高齢化と共に、ブラジルの門信徒数は年々減少しており、現在約5千人。第25代門主は「日本語が話せない日系人や非日系人に教えを知ってもらうために、ポルトガル語による開教が必須である」と話した。
 仏教の教えは時代を経ても変わらない。しかし、教えの説き方は時々の世相を反映して移り変わっている。

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