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藤間流=舞踊学校創立50周年祝う=踊初め50回、師籍65周年=1千人超来場し盛大に

ニッケイ新聞 2011年1月11日付け

 日本舞踊の6代流派の一つ藤間流をブラジルに普及させた藤間芳之丞会主が、師籍65周年、日本舞踊学校の創立50周年、新年の踊初め50回目と3つの節目を迎え、盛大に踊初めをした。「中南米を制覇したい」との大志を抱き、ブラジルで歌舞伎舞踊を頑なに広め続けた芳之丞会主の半世紀の節目に立ち会おうと9日、文協大講堂で開催された記念公演には有料にも関わらず1千人以上が来場した。30以上の曲目が披露される中、長唄三味線「和の会」による生演奏にあわせて名取、師範らが踊った古典舞踊に来場者はじっと静まりかえり舞台に集中していた。

 開会式では師範免状の授与(3人)、功労賞(2人)、皆勤賞(4人)が贈られた。
 木多喜八郎文協会長、菊池義治援協副会長、与儀昭雄県連会長の祝辞に続き、文協芸術委員会の頃末アンドレ委員長が、「日本の伝統芸能の代表美である『踊り』を通じて、ブラジル社会に日本の美を紹介し、その心を知ってもらうことは大変な喜び。喜怒哀楽を体で表現し、自然の動きを芸術まで高めたその所作の一つ一つを、皆様と共に楽しみたい」と述べ、藤間流の活動に敬意を表し、公演の成功を祝った。
 芳之丞会主は謝辞を述べ、「今年は創立50周年の素晴らしき良き年。しかしここで初心に帰り、もっと努力して60周年では更に素晴らしい踊りを披露したい」との意気込みを語った。
 第一部「藤の章」、古典から歌謡まで、多彩な舞台の口火を切ったのは芳之丞さんの愛娘、芳翁さん。「和の会」の鼓、太鼓、笛のお囃子の伴奏で、仇討ちで有名な曾我兄弟の五郎が、廓通いをする姿を描いた『雨の五郎』を華やかに披露した。
 「和の会」では、発起人である杉浦和子さんも日本から訪れ、公演に向け約1カ月間稽古に励んだ。「演奏する人の熱意も加わる」と〃生〃での演奏の魅力を語る。
 また、今回はパラグアイのラパス市からも5人の門下生が出演した。力強く刀を振る『さむらい』を踊った野中ゆりさん(二世)によると、パ国門下生は20数人おり、10代20代の若手がその中心。今回は滞伯中に芳之丞会主から新たに数曲習い、それを他の門弟に教えるという。
 全曲生演奏の第2部「松の章」では、長唄『末広狩り』『岸の柳』『老松』『都鳥』などを熟練者が一挙披露した。
 大トリを飾ったのが祝儀曲の代表格『鶴亀』。鶴は千年、亀は万年というめでたいもの。王、従者、鶴、亀が登場するが最古参の芳誠さんや芳寿さん、芳翁さんなどと共に、芳之丞会主自ら出演して拍手喝采を浴びた。
 フィナーレは50数人の出演者が入れ替わり立ち代り登場する総出演となり、盛況に閉幕した。

祝賀会=芳之丞さんの喜寿も祝う=「100周年に向けて」

 「師範が薙刀を持って立っている、それでピッと悪いところを指摘するんです。仕込み方も今と違った」。
 3歳で舞踊を初め、12歳で名取となり、人間国宝藤間藤子師の指導を受けた芳之丞さん。公演後の祝賀会の挨拶でそう話し、戦前戦後の厳しい指導を垣間見させた。
 ブラジルでの舞踊普及を決意させたのは、23歳の頃に行った世界一周舞踊公演の旅で受けた強烈な印象であった。
 1ドル360円、自由渡航が解禁される前の59年、アメリカ、ベネズエラやスペイン、イタリアなど欧州各国を一人、舞踊を紹介して回った。
 公演の予定は無かったブラジルに滞在中、伊勢湾台風で大きな被害を受けた日本へ、義捐金を贈るための慈善公演会を行う事になった。
 「会場にはひっきりなしにお客さんが来て、感動したのか、すがりついて泣いているんです。それを見てここだと思いました」と50年余り前を振り返る。海外での普及地を探していた同氏は、「ここ(ブラジル)を中心に中南米を〃制覇〃したい」とたぎる思いで翌60年に渡伯した。
 古典を大切にする歌舞伎舞踊への理解の薄さ、文化の違いを痛切に感じ帰国の道も頭をよぎりながらも、「古典が舞踊の基本」の考えを捨てず、門弟を育てた。
 同氏によれば、現在ではブラジルで250人が学び、パラグアイ、チリ、アルゼンチンにでも教室を開講しているという。
 芳之丞さんが8日、喜寿(77歳)の誕生日を迎えたこともあり、ケーキカットが行われ、みなで乾杯で祝った。
 芳之助さんは「100周年を迎えられるよう努力する」と出席者の前で述べた。
 皆勤賞を受けた尾田咲枝さんは、「舞踊は下手やけど周りに迷惑をかけるから休むのは嫌い」という。その思いでサントアンドレー分校の週1回の練習を、30年間一度も休まなかった。
 「でもやっぱり舞踊が好きだから」と長年続けた〃秘訣〃を語った。