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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年1月14日付け

 リオ州だけで一日に300人規模の水害死者が出たのは大変残念なことだ。ウィキペディアによれば、被災地の一つノヴァ・フリブルゴは1819年からの2年間に、スイス移民261家族が入植したことから始まった山深い風光明媚な地だ。「移民は自らの故郷に似た気候や地形を移住先に選ぶ」というが、幾らでも原始林が広がっていた当時にわざわざ山間部に入ったのは、まさにそんな言葉を地で行く▼なんとブラジル独立宣言(1822年)よりも前の入植であり、名前の通りスイスのフライブルク地方からの移民だった。奇しくも1824年にはドイツの方のフライブルクからの移民も332人が入植した。これがブラジルで最初のポルトガル系以外の植民地となった▼テレゾポリスも1788年に創始した古い町だ。ペドロ二世の后テレーザ・クリスチーナ王妃を顕彰して付けられた市名というから、王室に縁のある場所といえる。当時の欧州出身者にとっては、蒸し暑い海岸よりもこの山間部にこそ故郷の薫りを感じたのだろう▼ペトロポリスは、リオから金採掘ブームのミナス州へ向かうレアル街道の出発点に位置し、ペドロ二世皇帝が1847年に〃夏の宮殿〃を完成させ、避暑のための帝都にしたことで有名だ▼このような伝統あるセラーナ地域が無残な水害に襲われた。リオの日系人はこのような山間部でも農業などで地歩を築き、会館を建て、親睦を行ってきた。今のところ人的被害がないことを喜びたい。ただし、その拠点たる会館が濁流に飲まれたかもしれないという悲痛な声が耳に木霊した。そうでないことを祈りたい。(深)

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