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琉球王朝時代のお宝発見!=三線鑑定団のお墨付き=「沖縄でも数丁のみ」

ニッケイ新聞 2011年7月20日付け

 「沖縄でも数丁しかない貴重なもの」——。移民が持ち込んだとされる、コロニアに残る古い三線の鑑定のため、沖縄県から来伯した鑑定士が8〜10日、15日にサンパウロ市で調査を行なった結果、琉球王朝時代作製と見られる1丁が見つかり、関係者は喜びの声を上げている。また、沖縄語の聞き取り調査も行なわれ、複数の地方出身移住者の沖縄語を収録。「沖縄よりも言葉が残っている」と調査団は驚きを見せた。同様の調査を11〜13日にカンポグランデで行い、一行は16日に亜国へ出発した。その後はボリビア、ペルー、米国を回る。

 沖縄県人会創立85周年記念事業。三線の鑑定に訪れたのは、琉球三線楽器保存育成会の岸本吉雄会長、外間善盛副会長、岸本尚登氏の3人。
 鑑定依頼が寄せられた三線は、サンパウロ市本部で49丁、カンポグランデで23丁。竿の形状から7種類に分けられる「型」を基本に調査され、型どおりに作られたものかどうかに重点が置かれた。
 鑑定対象となったのは本部で38丁、カンポグランデで14丁。これらのうち琉球王朝時代(1429〜1879)に作られたと考えられる三線が1丁確認された。この「平仲知念型」は沖縄でも3〜4丁ほどしかなく非常に貴重とされる。鑑定士の岸本尚登氏は、「王朝時代の三線は10年に1度あるかないか」と感嘆の声を上げた。
 明治初期頃のものと思われる三線「真壁型」が2丁、明治後期のものが2丁で、笠戸丸移民の故宮城伊八氏が持参したとされる三線はこの頃作製とみられた。その他大正期の三線が8丁、昭和初期のものが7丁確認された。
 10日夕方、本部で開かれた調査団の歓送迎会で鑑定士の外間氏は、「来た甲斐があった。苦労した移民の存在の証が三線に現れており、弾くとそれがわかる。心を打たれた」と力を込めて語った。
 琉球古典音楽保存会相談役の知花眞薫氏は調査団に謝辞を述べ、「古い三線がまだまだあるはず。今後も10年に1度でいいからこのような鑑定ができれば」と期待を込めた。

「沖縄より残っている」=ウチナー語の調査も

 三線鑑定と同時に行なわれた沖縄語調査では、サンパウロ州、カンポグランデで、糸満、読谷、小禄、具志頭、大宜味、金武、与那城、諸見里、東風平、浦添、久志、今帰仁、具志川、羽地の14地域からの移住者や二世ら68人の言葉が収録された。
 調査したのは、琉球諸語継承事業審査専門部会長の山城直吉、同部員の善平朝信の両氏。
 山城氏は、「沖縄県よりむしろブラジルのほうに沖縄語が残っていた」と、調査の成果を喜ぶ。
 沖縄語の講座を開く与那嶺恵子氏は、「二世にきれいに島言葉が残っていた。親や祖父母から教わったり、同じ地域出身者が周りに多いと残りやすいよう」と傾向を振り返った。

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