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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月25日付け

 サンパウロ市近郊サントアンドレーの在住岡崎完さん(70、北海道)から先日、興味深い話を聞いた。愛知揆一元外相が忙しい私的日程を割いて、1971年1月頃わざわざサンパウロ市までお忍びで岡崎さんに会いに来たと聞き、驚いた▼愛知揆一(1907—73年)といえば、外相として72年の沖縄返還協定に向けての日米交渉を担当したことなどで知られる大物政治家だ。72年12月に第2次田中内閣が組閣されると蔵相に起用され、補正予算案の編成などの激務に追われる中、体調を崩し急性肺炎のため73年11月に亡くなった。当時、現役閣僚の死亡は45年の阿南惟幾陸軍大臣以来であり、病院に駆けつけた田中角栄首相をして「巨星墜つ…」と言わしめた▼そんな大物政治家がお忍びでサンパウロ市まで会いに来たなら、よほど重要な関係かと勢い込んで尋ねると、岡崎さんは「別にたいした話はしませんでした」という。会いに来た唯一の理由は「日本にいた頃から行き来していた仲だったので」とのことだった▼しかも、誘拐事件で有名な大口信夫総領事が仲介して館内で懇談となったが、その時に連れて行ったカメラ屋が撮影を失敗し、記念写真が残っていないとのこと▼岡崎さんは58年にボリビアに移住し、60に当地に転住。67年頃から学習館を設立し、最盛期には分校含めて500人もの生徒がいた。今は娘が引き継いでブラジル校と一緒に経営している▼元外相がお忍びで会いに来たとは、間違いなく移民の秘話だ。もし、なぜ会いに来たという動機にもっと明確なものあり、写真が残っていればこの逸話は100倍の価値を持っていただろう。(深)

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