ホーム | 連載 | 2011年 | マットグロッソ七夕祭り | マットグロッソ七夕祭り=(下)=地元コロニアが連携=「これからも継続して」=元上議 柳井ジョルジ氏も姿みせ

マットグロッソ七夕祭り=(下)=地元コロニアが連携=「これからも継続して」=元上議 柳井ジョルジ氏も姿みせ

ブラジル中西部の宗教的な踊り「クルル」と「シリリ」のグループの発表。迫力あるステージで盛り上げた。

 「七夕祭りの開催は、ずっと前からの念願でした。ようやく実現して大満足」——。と満面の笑みを浮かべるのは、同地日本人会元会長で実行委員長の尾崎堯氏(76、秋田)だ。
 マットグロッソ野球ソフトボール連盟の伊澤祐二会長(40、二世)、小林セルジオ副会長(51、二世)、クイアバ市に隣接するバルゼア・グランデ日伯協会の野内儀夫会長(48、二世)らが中心となり、準備・運営にあたった。
 同連盟の選手ら約100人がボランティアで、会場の建設に関わった。
 今回の実施で、カセリス市、シノッピ市、タンガラ・ダ・セーハ市など各地の文協とも連携が強まったという。
 サンパウロからは、毎年リベルダーデで七夕祭りを実施する宮城県人会が全面協力。東日本大震災被災地の状況を伝える45枚の写真、千羽鶴、笹の木、竹、短冊のほか、七夕飾りを段ボール57箱に入れてトラックで運び込んだ。

地元日系団体関係者らとの親善昼食会。尾崎実行委員長(前列中央)と大部総領事夫妻、中沢会長も笑顔。

 中沢宏一会長は3日前に現地入り。小林副会長が経営する建設会社の社員の協力を得て、酷暑のなか、自ら飾り付け大粒の汗を流した。
 「サンパウロとは気候が異なるし、勝手が違うけど、やはり綺麗になったね」と満足気に七夕飾りを見上げた。
 食事コーナーでは文協婦人会や青年会、地元レストランから、日本食など18のバンカが出店。また地元日本食レストランが魚のさばき方のワークショップを開き、指圧コーナーや生け花、盆栽の展示もみられた。
 クイアバ北方500キロのシノッピ市在住で、日系初の上院議員を務めた柳井ジョルジ氏(63、二世)も訪れた。
 「日系人への文化継承の意味でも非常に意義深い。日本人会(約120家族)を盛り上げるため、シノッピ市でも実施できれば」と話した。
 宮城県人会が提供した地図を眺めていたジョルジ・ギマランエスさん(40、クイアバ市)は、「日本が4つの島でできているなんて知らなかった」と興味深げ。
 ボランティアとして参加したアドルフ・トミヨシさん(70、二世)は、「人がたくさん来て、とても良かった。重要なのは参加することだね」と笑顔を見せた。
 総領事館のブースで花を飾っていたコンセイソン・イタカランビさん(54、クイアバ市)は88年から「山月流」生け花を学び、50人の生徒に教えているという。
 黄色と緑の向日葵と、赤と白のアンスリウムの花を飾り、〃日伯友好〃を表現していた。
 中沢会長は、「コロニアを活性化するための起爆剤として、七夕祭りが継続されことを祈りたい。若くて有能な人が多く、彼らならやってくれるのでは」と期待を寄せた。
 大部総領事は、「着任して2年8カ月。各地で両国の友情を感じてきたが、本イベントは歴史的。大変感動した」と成功を喜んだ。
 伊澤氏は、「厳しい暑さを考慮し、来年は市のパビリオンで屋内での開催を検討している」と話し、同祭の継続に意欲を見せた。
 州政府、地元コロニア、在聖総領事館、県人会などあらゆる組織が一体となって開催され、成功裏に終わった初の七夕祭り。酷暑のクイアバで涼やかな日本文化が根付いていくことを願う。
(田中詩穂記者、おわり)

image_print