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ぷらっさ欄投稿者の集い=計25人バウルーからも=「貴方があの××さん!」=「ぜひ試しに投稿を」

ニッケイ新聞 2011年11月18日付け

 「いつもお名前と文章は拝読しています。あなたがあの・・・」。週1回掲載される本紙「読者の広場・ぷらっさ欄」への常連投稿者による「第1回ぷらっさ欄投稿者の集い」が12日昼、サンパウロ市のレストラン「ニュー美松」で行われて25人が集まり、そんな声が方々で聞かれる中、初対面とは思えない親しげな話し振りで歓談した。

 「10人ぐらいかな」との大方の予想を裏切って、当日は16人の投稿者と5人の同伴者、2人の「ぷらっさ欄」ファンがあつまり、順繰りに自己紹介したあとゆっくり話し込んだ。
 立案者である池部健一パウロさん(69、ペレイラ・バレット、二世)とその母ハマさん(89、秋田)、呼びかけ人の金子国栄さん(71、新潟)と妻・慶子さん(66、セッチバーラス)はレジストロから、樋口四郎さん(76、福岡)はカンピーナスから、小坂正光さん(88、島根)はバウルーから、距離をものともせずに駆けつけた。
 常連中の常連、樋口四郎さんは前日には「ぷらっさ欄」投稿用の当日の模様の予定稿を書き上げるほどの気合の入れようで、その日の出来事を2、3点付け加えて完成させるつもりだという。「高齢者が多い割にはハツラツとした、いかにも楽しげな様子に、76歳になる〃若手〃の筆者がたじたじになる場面も。一同常に笑いが絶えなかった」との予定稿の〃予言〃そのままの場面が展開された。
 四カ月前から健康上の理由で医者から外出禁止を言い渡されていた守屋保尾さん(86、長野)は、この集いの直前に外出を許され、「私自身は書かないが、ぷらっさ欄は何よりも好き。ぜひこの集いに出たかった。神様が配慮してくれた」と嬉しそうに報告し、元気そうに最期まで話し込んでいた。
 池部パウロさんは「今はNHKを通して世界や日本のニュースも瞬時に見られるが、テレビは1時間もしたら忘れる。その点、新聞は聞き逃すことがなく、じっくりと読めて頭に残る。うちは爺ちゃんの時代からパウリスタ新聞でした」とのべた。
 瀬尾正弘さん(77、徳島)=イビウナ在住=は「ぷらっさ欄の文章を集めて本にしたらどうか。今ならそんなに難しいことではない」と提案した。中野文雄さん(90、福岡)は「私は無学で勉強していない。『メクラ蛇に怖じず』の気持ちで毎回書いている」との心情をのべた。
 黒木慧さん(77、宮崎)=サンロッケ市=は、「以前ぷらっさに『日本の叙情歌、世界の名曲を愛する人、ご連絡を』と呼びかけたら40人から電話が来て驚いた。すごい反響があった。おかげで愛好者会を立ち上げて宮崎県人会のサロンで例会をしている」との経験を話した。
 小坂さんは05年から投稿をしているぷらっさ欄への投稿原稿16本をまとめて、米寿を記念して出版した『南洋』を持参し、会場で希望者に配った。「満6歳で渡伯し、植民地で日本語小学校を8年ほど学んだ浅学者ですが、自分の随筆集を出せて望外の喜びです」とのべ、「私もたまたま始めた。まだ書いていない人もいるだろうが、ぜひ試しに投稿されては」と薦めた。
 あっという間に時間がすぎ、解散時には「ぜひ次回も」と要望する声が上がっていた。

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