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世界の邦字紙から=最近のパラグァイ事情=坂本邦雄

ニッケイ新聞 2012年2月4日付け

 坂本邦雄さん(82、神奈川県横浜市)=パラグァイ国アスンシオン在住=は元ブラジル移民だ。昨年パラグァイ移民は開始75周年を迎えたが、坂本さんは南米にきて78年目。4歳の時、最初に入植したのはブラジルのモジアナ線カニンデ駅のコーヒー耕地だったからだ。両親に連れられて坂本さんがアスンシオンに到着したのは1935年10月、先陣としてラ・コルメナに乗り込んだのは翌36年5月15日、この日が「パ国日本移民の日」となった。以来、同国の政治経済を詳しく見てきた坂本さんに情勢を解説してもらうことになった。本日2面のパラグァイ版土地なし農民の記事は、まさにイグァス移住地に起きていることの延長線上にある。(編集部)

 ブラジルとは兄弟分の仲

 米州各国中、最も親日国家として日本政府も認めるパラグァイに於ける日本人集団計画移住の起源は、1936(昭11)年の5月15日にラ・コルメナ植民地が建設されたのに端を発する。その起因は、時のバルガス政権によって移民二分制限法が34年に発布され、日本人ブラジル渡航が大きな打撃を受けるに至ったことだ。
 日本の拓務省はコロンビア、ドミニカその他の代替移民受け入れ先候補国の物色に当たったが、最終的にパラグァイに白羽の矢が立ち、ブラジル拓殖組合(ブラ拓)はその分身たる海外移住組合連合会のパラグァイ拓殖部(パラ拓)を発足させ、パラグァイに於ける戦前最初にして唯一の日系植民地ラ・コルメナの建設を始めたのである。
 しかし、パラグァイはその頃、ボリビアとのチャコ戦争終戦直後だった。勝ちはしたものゝ国は疲弊し、当初は好意的なリベラル政権下で順調に進んでいた日本人拓殖計画も、戦後の政変で二月党(フェブレリスタ)の超国家主義政権(短命だったが)に代わり、前政権との日系入植地計画の話が御破算になり交渉は難航した。
 同年4月28日になって漸くパラグァイ当局は日本人農業移民100家族の入国許可を認めると言う事前情報が入り、当時は全国で僅か20人位しかいなかった在住邦人は、翌29日にアスンシオン市に集まって天長節も兼ねて大いに祝賀の乾杯を挙げたのであった。
 因みに、1936年4月30日付で公布された、日本人農家の入国許可の政令第1026号は、件のブラジル日系移民の二分制限法の経緯の影響もあってか、試験農業移民と言う条件が付された。地方のなるべく遠隔地に入植すること、パラグァイ人農家の生産に競合しない輸出振興作物の栽培に優先的に従事すべきこと、都市圏の集団的居住を禁じ、パラグァイ国の風俗慣習を尊重すること等が義務付けられていた。
 この様に日本人のパラグァイ移住は、兄貴分のブラジルの殖民事業とは切っても切り離せない縁の許、ブラ拓は先ず10家族程の指導移民をブラジル植民者の中から募りラ・コルメナに転住させた。
 そして、開拓が始まって未だ日も浅い1941年12月には不幸にして太平洋戦が勃発し、祖国との音信も途絶え孤立状態に置かれた。この為に、前途に希望を失いアルゼンチンやブラジルへ脱耕して行く者も少なくはなかった。
 しかし、戦時中幾多の苦難に耐えて、最後まで頑張った残留入植者は頼みのパラ拓も自然消滅の運命にあった中で、戦後自主的に産業組合を結成し、ラ・コルメナの起死回生の重責を見事に果たしたのであった。
 これは取りも直さず、ラ・コルメナが当初課された試験移民の民族的使命を十二分に果たした功績に他ならない。パラグァイが戦後に於いて日本人農業移住者の受け入れを逸早く承認し、1959年には親日家だった故ストロエスネル大統領の政権下、日パ移住協定が正式に締結されるに至った大きな要因となったのである。
 その後、この日パ友好関係の外交上の基盤たる協定の許に、移住事業のみならず日本のパラグァイに対する経済技術協力等々は世界各国の中でもダントツの位置にあり、在留日系人の誇りでもある。(移住者はその後は日本の高度経済成長の為、希望者が途絶えたが)。
 かくして、移住協定に基づいて最後に建設された戦後の日系入植地中最大規模の8万7千ヘクタールを誇るイグァス移住地は昨年8月22日に、政府当局者や内外要人多数を迎えて創立50周年記念祭が盛大に開催され、恰も万々歳だった。

 日本政界との意外な共通点

 思えば1989年2月初旬にストロエスネル長期政権がクーデターで崩壊してから、この2月で23年になる。その恐怖の独裁政体は最後は多くの国民も草臥れて功罪相半ばするが、日本人には有り難い親日政権だった。
 そして現ルーゴ左派政権まで6回大統領が変わった。端的に云って、民主制への移行に努めたその後の歴代政権は何れもこれと云った成果が上がらず、今度こそはと期待されて選ばれた元司教フェルナンド・ルーゴ現大統領は、これまた、これ迄の悪政に輪を掛けた大の失敗の巻きで、選挙民は今になって大いに臍を噛んでいるのである。
 元々ルーゴ政権は中道左派なのは分かっていた事であるが、自己の施政方針を何時になっても明らかにしない侭で、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領のボリバル協和思想の〃21世紀の新社会主義〃に追随するが如く、「左翼の根っこは共産主義である」、と言わんばかりの牙を現している。
 例えばアルトパラナ県ニャクンダイ郡所在のブラジル人トランキーロ・ファヴェロ氏の大農牧用地は地券の正当性が怪しく、官有余剰地に所属する疑いがあると云う口実を以って土地なし農民の不法侵入を暗に裏で煽動している他、移住協定で出来たイグァス移住地も同様の疑いで日系入植者の土地が狙われ、大使館をも煩わす国際問題を惹き起し、穏やかではない。
 詰り、現政権はこれ迄の過去の既得権や所有権は全て悪であると断定し、その無効化を図らんとする恐れが隠然として存在するのである。
 かかる由々しい事態に備えて、アルトパラナ県の関係各自治体は「イグァス多部門共同体」を組織し、地域生態系の保全とイグァス・ダム及び各水源支流の護岸植林事業をANDE電力公社と協議の上で計画的に実施する予定である。
 因みに、イグァス河のダムはANDEが70年代にアカラウ河水力発電所の発電能力アップの目的で工事したもので、日本政府はこのイグァス・ダム機械化プロジェクトに対し、JBIC(国際協力銀行)を通じ1億9千万ドル相当の有利な円借款を与え、其の施設は近い中に落成の運びにある。
 なお、JICA(国際協力機構)は前記護岸植林事業を支援しており、専門コンサルタントを派遣した。この他、イグァスダムを利用した観光事業計画も進められている。
 兎に角、日本も認める親日国パラグァイは我々在留邦人としても政権の如何に関わらず、愛着が深い筈だが、吾がルーゴさんの左傾化政治姿勢を観察するに、反動派の筆者などは如何にも釈然としなく、裏切られた思いがするのである。
 そう云えば日本でも戦後、進駐軍・GHQの許で発布された平和憲法や日教組の左傾化教育で若い世代の道徳教育が昔とは根本的に変わった影響で、長期政権の座にあった自民党も徐々に骨抜きになり、民主党に政権を譲る羽目になった。この民主党がまた、本来の自由の民主主義ではなく、羊の皮を被った極左シンパである事がバレて、有権者はマンマと欺かれた体たらくなのは、このルーゴ政権下のパラグァイに良く似ているとは一寸云い過ぎであろうか。

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