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特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(14)=われわれは何者か

ニッケイ新聞 2012年2月4日付け

 傍らにあった東北新幹線車内誌「トランヴェール」をめくってみると、岩手・平泉で藤原一族が栄える12世紀ごろに完成した北日本の幹線道路「奥大道」の記事が載っていた。
 福島・白河関と青森・陸奥湾をつなぐ中世の東北縦断道路である。遺跡からは中国の磁器も出土しており、遠く京都からオホーツク海に至るまでの交易をたすけた「奥大道」の存在に今、注目が集まっているという。
 わたしの迷想がまたもや頭をもたげる。迷想を通り越し、もはや妄想の域かもしれない。
 太古、スンダランド北上派として日本列島に上陸した原日本人は、旧石器時代を経て縄文人となり、狩猟・採集生活を営みながら永劫にちかい時が刻まれる中で列島を北へとたどったことはすでにふれた。
 ブナの密林が繁る東北では、奥大道の原初となる古道を切り開いて青森・三内丸山地方に達し5、6千年以上前、同地に先進的な縄文の大集落を築いた。
 下って現代、東京から青森までわずか4時間の新幹線軌道で奥大道上を疾走していることに、わたしは深く感じ入った。
 いっぽう日本列島に渡らず大陸に留まった北上派の一部は、さらに北進して陸続きだったベーリング海峡を渡って北米大陸入りする。
 グレートジャーニーはなお止まることなく多分、2万年以上前、米州大陸西岸を小舟で南下し、はるかに後世、マヤ、インカ文明を築き、ブラジルではインジオが隆盛した。
 わたしたち日本人とインジオは、よく知られるようにモンゴロイドという形質人類学上の同族である。祖先の中の物好き一派がたまたま日本列島に立ち寄ったため、島国育ちの二次性格が形成されるが、本来はインジオ同様、おおらかで楽天的な民族だったのではないか。
 そして1908年、先住民の暮らす新大陸へ、祖先の楽天的で冒険心に富む遺伝子を受け継いだ一群が、今度は大洋を渡ってやって来る。パトリシオ同士、2万年の邂逅という図だ。
 東京から3時間ほどではやて号は盛岡駅に着き、幻想世界から目が覚めた。接続していた秋田新幹線こまち号はここで切り離され、田沢湖線をたどって秋田駅へ向かう。
 盛岡からわたしの田舎は近いのだが、唐突に思い出した。田舎でテレビを見ていた時、傍らにいた妹に「このハンサムな俳優が」と言いかけると、「いまごろハンサムなんて言わないの」と軽薄な妹はピシャリ。わたしは黙り、じじいのオレにイケメンとでも言えってか、と腹で毒づいた。
 氾濫するカタカナ語に混じって流行語や若者たちの隠語も幅をきかし、最近の日本語はわたしのような外国暮らしの長い者には聞きづらい。まあそれは我慢するとして、いい年をした大人たちまでが流行り言葉や若者言葉を得々としゃべっているのには我慢できない。というより大いに疑問を呈したい。
 言葉は確かに生きている。その時代に寄り添う新しい言葉が生まれ、そぐわなくなった言葉はタンスの奥にしまわれるように使われなくなるものだが、便利かつ美しい言葉として使い継がれてゆく日本語であるかどうかの取捨選択に、年配者はより注意を払わなければならないはずだ。
 若い世代におもねるかのように変に素早く流行語など使ったりせず、むしろ頑固に否定的立場をとることこそが年寄りの見識と矜持というものだろう。
 後継世代との揉みあいの中でこそ、生き残るに値しない言葉は捨てられ、容認された言葉だけが辞書の採録を待つことになるのではないか。
 福田和也教授ではないが、若さを気どって語尾を気色悪くひっぱったり、「すごっ」などと流行りの語幹だけの形容詞を得意げにしゃべっている小粒な年輩者のなんと多いことか。
 こまち号が離され、新幹線としては異例の長さの7分間という停車時間が終わり、はやて号は新青森駅に向け出発進行した。



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