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「太く長い絆を今後も」=あるぜんちな丸12次航=50年目の同船者会開く=4カ国約80人が一堂に

ニッケイ新聞 2012年5月15日付け

 1962年5月11日にサントス港に到着したあるぜんちな丸第12次航の『着伯50年の集い』が12日、聖市内のホテルで行われた。同船者会の開催は40周年、45周年に引き続き3回目。今回は国内各地にとどまらずボリビアのサンフアン移住地から11人、米国ロサンゼルス、パラグアイからも参加者を迎え、約80人が一堂に会した。また前夜祭、翌13日はサントスへ日帰りバスツアーも組まれ、絆を確かめ合った。

 同船は481家族(681人)の移民を乗せ、4月2日に神戸港を出航した。下船後はそれぞれ伯国に473人、ボリビアに100人、パラグアイに68人、亜国に40人が入植し、乗船者の3分の1は当時15歳未満だったという。
 会場では過去2回の同船者会の写真、あるぜんちな丸の写真や模型、船内新聞「さくら」や乗船者名簿など貴重な資料を展示。「長崎出身の人がこんなにいたのねぇ」などと口にしながら、参加者は興味津々で眺めた。
 開会宣言は司会の吉田栄一さん=スザノ在住=によって行われ「出身県や年齢、学歴、職歴が違う人同士が同船者ということだけで50年後も集まるのはすごいこと。これからも太く長い絆を保ちたい」とあいさつ。
 当時船内新聞を編集していた実行委員長の和田好司さん=ポルト・アレグレ在住=は、40周年時に開設したHP『私たちの40年』の閲覧数がこれまでで235万回を超えたと報告。「移住史として乗船者の生き様を残し、共有財産として分け合いたい」と参加協力を求めた。
 南米産業開発青年隊出身で牧師の丸谷良守さん(73、広島)=アラサツーバ在住=、ボリビアから訪れた修道女の障子多美子さん(59、長崎)による物故者への慰霊、1分間の黙祷が捧げられた後、「私の50年」と題し、数人がこれまでの人生を交えて自己紹介した。
 「人生は常に前向き風車」—。趣味の俳句を披露したトメアスー移住地から訪れた三宅昭子さん(秋田、69)は、入植1年以内に友人、婚約者の父をマラリアで、妹を自殺で亡くすなど、苦難の連続だった。
 「生きる希望を失ったこともあったが、苦しい道を通ってきたから今がある。今はブラジルが良かったと思えますね」と笑みをこぼした。
 終始和やかな笑顔で会場を見渡していた初参加の深沢泰之さん(71、山梨)=ジャカレイ在住=は着伯後、バイーア州サルバドールから約80キロの「JK植民地」に入植した。
 60年頃、州政府によりサルバドールに野菜を供給する目的で造られた同植民地は、最盛期で約120家族がいた。
 しかし、土地が悪かった上に移住者同士のトラブルもあり、深沢さん一家は一年で出た。「将来性がなかった。親は苦労したでしょうね」と振り返った。その後はグァラレマの桜高森植民地に移り、花卉栽培で成功。現在は一線を退き余生を楽しんでいるという。
 その後一同は昼食を囲んだ後、賑やかに記念撮影を行い、最後まで懇親を楽しんだ。

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