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亜国=沖縄県人移民の名簿完成=協力者招き夕食会で祝う

ニッケイ新聞 2012年6月9日付け

 【らぷらた報知5月22日】沖縄県人移民の碑建設委員会では、このほど、「アルゼンチン沖縄県人移民100周年記念碑用移民名簿」が完成したところから、去る12日(土)夜、沖県連会館2階ホールに関係者、各市町村の作成担当者、協力者を招き、感謝夕食会を催した。
 はじめに、安次富寛全委員長から「移民の碑建設の際、資金募集に協力ボーノ(券)を発行したが、碑といっしょに刻銘板作成に当たっていろんな業者を回り、格安の予算で仕上げることが出来た。その余剰金で移民名簿作成が出来た。1000冊を印刷したが当然不足するので、まず関係者、協力者に贈呈し、その他は20ペソで販売することにした」と挨拶があった。
 さらに、移民の碑建設企画当時会長だった米須清文理事から、「あの企画事業は碑とプラッカ(刻銘板)、移民名簿の三つをポイントに置いたものだった。いずれにしても、6?7千人ほどの人数になると、嫁は出身地か嫁ぎ先に入れるか、(発音と字を一致させるなど)名前の文字を正確にするとか、簡単ではなかった。議論、検討が重ねられた。それを取りまとめたのが安次富さんで、ご苦労があったが乗り越えてやり遂げた」と祝辞があった。
 らぷらた報知の崎原朝一(ちょういち)記者は「移民の碑、刻銘板、移民名簿によって、アルゼンチンにおける沖縄系という大きな家族の家系図を、整理したことになるのではないか。アルゼンチンの沖縄移民の特徴は隣国からの転住、近親や出身地中心の呼び寄せにあった。このようなつながりから出身市町村意識が高く、それを柱にして沖縄県人連合会体制が築かれてきた。各市町村で誰が最初に来たか、誰が誰を呼び寄せたか追跡していくと、その市町村の歴史が浮かび上がる。50年後100年後の子々孫々にとって、大切なものになるはず」との感想を述べた。
 最後に東江ロベルト理事から「元気づけられる出来事。計画移民という点でアルゼンチンと日本の間では移民協定がなかった。ペルー、ブラジル、ボリビアでは国の支援があったが、アルゼンチンの場合、自力で移住している。これは沖縄にとっても価値ある大切な歴史だ。沖縄はいつも他国に属してきたが、アルゼンチンではこれだけのものを築いて来た。一世の皆さん、安次富さんどうも有り難う」と締めくくった。
 なおこの名簿は、県人最初の移民であるブラジルの笠戸丸組の転住者130名をはじめ、市町村・字別に合計6211名(2012年3月現在、委員会が把握した人数)が記載されている。

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