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南米産業開発青年隊=8期生、着伯から半世紀=家族含め27人で祝う=早川量通会長「5年後も開催を」

ニッケイ新聞 2012年6月28日付け

 南米産業開発青年隊(以下青年隊)第8期生の『着伯50周年記念祝賀会』が16日、サンパウロ州カナネイアのホテルコッケイロで開かれた。一泊二日の懇親会も兼ねた会に参加したのは、8期生11人に家族、他の期の青年隊メンバーらを加えた27人。共に1年間の厳しい研修を乗り越えた旧友との再会を楽しんだ。

 青年隊8期生は、1962年5月11日に着伯。33人がパラナ州ウムアラマ市の訓練所で1年間の共同生活を送りブラジルの習慣を学ぶと共に、工業技術の基礎を身に着けた。周囲には何もなく最寄りの町までの距離は約80キロ。多くの青年隊員が訓練所に入所することを「山に入る」と称した。
 祝賀会で開会の辞を務めたのは8期生最年長となる坂本円二さん(78、徳島)。賑やかなヤジと笑いに包まれながら高らかに開会を宣言。
 7期生の吉田茂治さん(72、長崎)は祝辞として「50年間多くの苦労があったとは思いますが、これからも先輩に負けないように頑張って欲しい」とメッセージを贈り「皆さんの今があるのは素晴らしい奥様がいたからこそ。大切にしてください」と内助の功を労った。
 続いて行われた表彰式では、拍手と歓声の中8期生一人一人が名前を呼ばれ、記念メダルと表彰状を受け取った。
 誓いの言葉、隊歌斉唱後、閉会。会のコーディネーター役を務めた8期生の長田誉歳さん(72、山梨)は閉会の辞として「33人の同期のうち3分の1が出席できたのは上々。参加してくれた先輩方にも感謝したい」と述べ、大きな拍手とともに祝賀会の幕は閉じられた。
 8期生で青年隊協会の会長を務める早川量通さん(69、北海道)は「先輩方や仲間の協力で良い会にすることが出来た。55、60周年でも皆で再会したい」と話し、「二、三世も参加しやすいような会の形式を考えていく」と今後の課題も示した。


49年ぶりの再会に笑顔=河野、濱埜さん「昨日別れたよう」

 共に8期生である河野保則さん(69、愛媛)と濱埜英輝さん(70、福井)は1963年に訓練所を出て以来、約半世紀ぶりとなった再会を喜んだ。
 河野さんは「海外に行くために青年隊を利用した。そこまで大きな志はなかった」と冗談めかして話す。当初、カナダかオーストラリアへの渡航を計画。ところが、自身の希望を満たす移住制度は見当たらず、模索の末に辿り着いたのが青年隊だった。
 一方、濱埜さんも「大学まで行って勉強するのは真っ平御免」との思いからの渡伯で、こちらも「外に出ることが出来ればどこでもよかった。たまたま立ち寄った県庁で見つけたのが青年隊の募集要項。とにかく海外に出たかった」と笑う。
 「同期たちと兄弟や家族以上に濃密な時間をすごした」という1年間の訓練生活を終えた後、二人は別々の道を歩んだ。 河野さんはサンパウロに渡り、下積み時代を経て写真館を開業。後に10年間日本でのデカセギを経験し、現在は悠々自適の余生を過ごす。
 濱埜さんは、いくつかの職を経験し、現在はレジストロ市でインテリア家具の製造・販売業を営んでいる。
 気づけば49年。「祝賀会に彼が来ると聞いてずっとワクワクしていた」と当日を心待ちにしていた河野さん。濱埜さんが「昨日別れたばかりのような気持ち」と話す通り、両人の間には違和感やぎこちなさは微塵もない。そこには「青年隊の絆」があった。

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