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金武町ブラジル移住100周年=金武町人移住百周年盛大に=慶祝団ら、5百人が祝う=ボリビア、米国ロスからも=ルーツ確認、交流活性化へ

ニッケイ新聞 2012年7月20日付け

 沖縄県の金武町出身者のブラジル移住100周年を祝う式典が、儀武剛町長、町議、一般参加者らでつくる慶祝団46人を迎え、ブラジル沖縄県人会会館で8日午後にあり、ゆかりの人ら約500人が節目を喜んだ。

 1899年に沖縄初のハワイ移民を実現させ「移民の父」と呼ばれる同町出身の当山久三氏らの働きかけもあり、1912年に18人が移住したのを嚆矢に、以降約200人がブラジルに渡っている。
 在ブラジル金武町人会(約80家族)の小橋川ジョルジ会長(50、二世)は「自分たちのルーツを忘れず、これからも町との関係を密にしていきたい」とあいさつ。
 儀武町長は「皆さんは金武町の誇り」と力強く語り、96年から続く研修生受け入れ事業に加え、一昨年から青年海外派遣事業が始まったことを報告、さらなる相互交流の推進を誓った。
 町と町人会の記念品の交換もあり、高齢者表彰では、34年に移住、今年100歳を迎える安富祖カマドさんも元気な姿を見せた。
 式後の祝賀会では、屋嘉、並里両区の伝統芸能保存会のメンバーが舞台を披露、古里の雰囲気に来場者らは酔いしれた。
 80年代に初の二世会長となった安富祖元さん(70)は「自分はブラジル生まれだが、訪問の際、いつも歓迎してくれる金武町はふるさと」と繋がりを強調した。
 親戚や友人が移住した南米を訪れるのが夢だったという慶祝団の一人、與那城忠次さん(64)は「一世の人が大変な苦労をされたのが分かった」と話した。


ロサンゼルス=仲田光子さん(74)

 サンパウロにある親戚の墓参りも兼ねた。「イチャリバチョーデー(一度会えば皆兄弟)というけど金武町の人は特別。やはり心がすぐ通うね」と顔をほころばせた。

ボリビア=伊芸正健さん(74)

 「ブラジルの町人の活動を見たくて」と参加した。ボリビア金武町人会(12会員、サンタクルス市)の会長も務める。「こんな大きな式典を開催できる町人パワーを誇りに思う」

ごあいさつ=金武町町長 儀武剛

 100年前から、移民の方々が言語や生活習慣の違うブラジルに渡り、厳しい生活を送りながらも故郷金武のことを忘れず、沖縄の復興にも温かい手を差し伸べてくださいました。
 会員相互の絆を強めながら金武町の発展にも貢献されてきた在金武町人会が、確固たる組織を誇っておられることは、歴代会長をはじめ、役員、会員各位の努力の賜物であり、衷心より敬意を表します。
 多くの研修生が金武町へ来られ、金武魂を受け継いでおられます。若い会員の皆さんと金武町の若者がさらなる交流を深めながら、ブラジルとの懸け橋となり、在伯金武町人会と金武町の発展に寄与することを期待いたします。(要約)

ごあいさつ=在伯金武町人会会長 小橋川ジョルジ

 金武町出身者の移住100周年を祝う記念式典に我らの町から町長、町議会議長、議員の皆様をはじめ、各区の代表、一般の皆様、そして当地からは会員、多数のご来賓のご参加を得て、挙行できましたことを大変光栄に存じます。
 開催にあたり、多くの寄付金、ご協力を頂きました。また、町の青年たちには、郷土芸能を披露して頂くことを厚く御礼申し上げます。
 私たち町人会はこれからも我々のルーツと文化を忘れず、金武町との繋がりを益々大事に活動していく所存でございます。(要約)

「同級生だから頑張れる」=町長と実行委員長が力あわせ

 「同級生だからお互いにもっと頑張れる」—。慶祝団を率いて駆けつけた儀武剛町長(50)と、式典実行委員長を務めた池原信栄さん(51)は、そう顔を見合わせ笑った。
 二人は町立金武小学校の同級生。池原さんは小学校5年生の時、ブラジルに移住し、古里を離れた。儀武町長は、町役場の職員時代、町史編纂で移民編を担当し、ブラジルへの訪問は3回目。南米との繋がりを歴史と肌で感じ、交流事業に力を入れる。
 「多くの同胞がいる南米とは今後も付き合うべき。そのためには若い世代の交流が大事」
 池原さんの帰郷時には同窓会などで顔を合わせ、親密な関係を築いてきた。今回、それぞれが双方を束ねる形で、1世紀の節目を共に迎えたことを喜ぶ。
 儀武町長は「感無量」と表情を引き締め、池原さんも「同級生が古里を支えていることは誇り」と笑顔で話し、再会を誓い合っていた。

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