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長崎県人会創立50周年=新たな一歩、3百人が祝う=創立50周年、喜びの日=県知事、市長らが慶祝に

ニッケイ新聞 2012年9月12日付け

 ブラジル長崎県人会(川添博会長)は「創立50周年記念式典」を2日、聖市の北海道協会交流センターで開いた。母県から中村法道知事、長崎市の田上富久市長ら記念親善訪問団20数人が駆けつけ、県人会会員や日系団体代表、アルゼンチン、パラグアイ支部関係者など約300人が節目を祝った。会の存続危機を迎えながらそれを乗り越え、式典開催に向けて着実に準備を進めてきた。県人会と長崎県、また姉妹都市提携40周年を迎えた長崎市とサントス市の交流を通じた日伯両国のさらなる相互交流の発展を誓いあい、未来への大きな一歩を踏み出した。

ナガサキ学校の生徒らも

 大河正夫副会長の開会の辞に続いて、日伯両国歌を斉唱。先没者への一分間の黙祷後、「はーい皆さん! こんにちは! ようこそいらっしゃいました!」という元気な呼び声で挨拶に立った川添会長。式典開催への感謝の意を示し、「平和を愛する団体とともに進んでいきたい」と力強くあいさつした。
 中村知事、渡辺敏勝議長、田上市長、その他来賓らの祝辞に続き、知事、市長から県人会へ助成金、県人会から慶祝団へ記念品が贈呈された。知事から功労者表彰が行なわれ、顧問の貞方賢彦さん(70、三井楽町・現五島市)が代表して謝辞をのべた。
 続いて知事から約30人の高齢者(85歳以上)表彰が行なわれ、夫の故・哲夫さんが琴海町(現長崎市)出身の樋口愛子さん(91、山口県出身)が代表して謝辞をのべた。
 表彰された一人、栗崎キヌエさん(86、吾妻町・現雲仙市)は、「知事さんにも来てもらった。長生きさせてもらってありがたい」と微笑んだ。
 式典後の祝賀会では、ケーキカットに続いて記念のアトラクションが次々と披露された。特に訪問団一行による長崎の龍踊りは会場を大いに沸かせ、州立学校エスコーラ・ナガサキ(Escola Estadual de Ensino Basico da Provincia de Nagasaki)の生徒による「長崎の鐘」の合唱では知事や市長も壇上に上がって歌い、温かな雰囲気に包まれた。
 毎年8月に被爆者に対するオメナージェンの行事を行なうという同校。この日、式典に14人(うち日系3人)の生徒を引率してきた校長のアンドレイア・アシスさん(44)は、「学校にナガサキの名前があるのは誇りで、日本文化を学ぶのはとてもいいこと。歌詞の意味も理解して、皆頑張って練習しました」と笑顔で振り返った。
 最後は、大河副会長によるハーモニカで全員で「ふるさと」を歌った後、輪になって皿踊りを踊り、会場が一体となって式典は終了した。

笑顔の会場、それぞれの声

 終始緊張した様子だった川添会長は安堵した表情を浮かべ、「長崎県との交流が身近になり、県人会の意気込みも今後変わっていくのでは。高齢化などの問題はあるが、支部の参加も見込めれば」と展望を語った。
 「雨降って地固まる。これからよくなっていくでしょう」としみじみ話したのは、県人会から感謝状を受け取った前会長の野口圭三さん(73、平戸市)。県費留学生制度が現在はないため、若者を短期間でもホームステイで受け入れるプログラムを作るよう、知事に直接要請したという。「前向きに検討すると返事をもらいました」と笑顔をみせた。
 一世が中心の会員約70家族を抱える亜国県人会の元会長、堀川重利さん(74、西海市)はこの日、ブエノスアイレスから駆けつけた。「再来年はうちが50周年。こういう式典ができればいいんですが」と話した。
 夫の故・次男さんが4期8年会長を務めたという、創立時からの会員、津髙エツさん(83、鹿児島出身)は、「最後になると思って来ました」と笑いながら、「ここにいる人皆と知り合い。煮しめを作ったり踊りやったり、いろんな思い出がある。あの頃は楽しかった。皆と『ブラジルに来てよかったね』って話してたんです」と、はきはきとした口ぶりで元気に話していた。
 満面の笑みで参加者と記念撮影をしていた中村知事(61、有家町・現南島原市)は、来伯3回目。式典終了後、取材に対し「こんなに活気があるのは、ブラジルがめざましい発展をしている表われでは。県として物的、人的両面の交流に取り組みたい」と語り、県人会に対しては「60、70、100周年へむけて大きな発展をしてほしい」とエールを送った。

ご挨拶=長崎県知事 中村法道

 ブラジル長崎県人会創立50周年記念式典が盛大に開催されますことを心からお喜び申し上げます。川添会長をはじめ、歴代会長、役員の方々、会員の皆様に対しまして心からお祝いを申し上げますとともに、深甚なる敬意を表します。
 長崎県人会は1962年(昭和37年)に創立され、現在約300家族の会員を擁していると伺っております。創立50周年という大きな節目を迎えるにあたり、皆様にはこれまでの様々なご苦労などが思い起こされ、感慨も一入のものがあろうかと存じます。
 県民にとりましても、多くの出身者の方々がふるさとを遠く離れ、このブラジルの方面で活躍されておられることは大きな励みであり、心強く思っております。
 県人会はブラジルにおける本県出身者の様々な活動の中心として機能しているだけでなく、両国間の友好親善を深めていく上でも大変重要な役割を担っておられます。
 長崎県におきましては、日系人の方々を中心に海外技術研修員や留学生を受け入れるなど、ブラジルとの交流に努めてまいりました。1973年から実施している海外技術研修員制度では、これまでに84人の前途有為な青少年を長崎県で受け入れ、企業や団体、大学などで研修を積んでいただきました。
 これからも様々な分野での研修を継続し、帰国後は長崎県人会の活動の中心となってご活躍いただくことを願っております。日本そして長崎とブラジルとの友好の架け橋として、今後もご尽力いただきますようお願い申し上げます。

「友好の種植えたい」=田上富久・長崎市長が交流に意欲

 今回が初めての来伯。式典での祝辞で「(エスコーラ・ナガサキと)長崎市の学校との交流をこれから始めたい」と発表し、龍踊りの頭を県人会に贈呈する予定があることもあわせて伝えた。
 本紙取材に対し「子供達たちの交流を進め、友好の種を植えていきたい」と前向きな姿勢を明らかにした。
 「滞在中に皆さんと言葉を交わし、笑いあったことは大きな思い出。一人ひとりに山あり谷ありの人生があると感じた」との印象を語り、式典中は会員らに積極的に声をかけ、「ふるさとに対する思いと同時に、ブラジルへの思いも同じくらいあるのでは。ブラジルと日本の間に気持ちの距離はないと感じた」と笑顔を見せた。

ご挨拶=長崎県人会会長 川添博

 本日は長崎県人会創立50周年記念式典へようこそおいでくださいました。ご出席いただいた皆様に御礼申し上げます。
 長崎県人会は1962年に発足いたしました。一人ひとりの皆様方の今日までの歩みには山あり谷あり、それぞれの人生が一冊の本になるような道を歩んでこられたことでしょう。県人会の歩みも、同じく山あり谷ありでした。
 それでも意識の底には、「おいたちは長崎んもんばい」がありました。故郷を想う気持ちが、心の拠り所がありました。それだからこそプラス思考ができ、現在の私たちがあるのです。
 私たちは先人の遺徳を偲び、現在があることに感謝し、将来を考えねばなりません。長崎にとって平和は大きな命題です。原爆の惨禍、原発の恐怖、これらのない世界を目指さなければなりません。「長崎を最後の被爆地に」、これの実現に向け少しでも歩を進めねばなりません。
 本年はサンパウロの文協やサントス市で原爆写真展が行われました。来年にはマリンガー大学等での開催が計画されています。レジストロ文協、広島県人会、被爆者協会ほか多くの関係者や団体のご支援を頂きつつ、皆さんとともに歩みたいと願っています。
 次世代へのバトンタッチ、母県との戦略的交流など、どの一つをとっても重要で困難が伴う案件ではありますが、実現を模索せねばなりません。
 この式典の開催が、これからの県人会の発展に大いに寄与することを実感しております。皆様のご健康、ご多幸を祈念しつつ、私の挨拶に代えさせていただきます。

【高齢者表彰を受けた皆さん】

 飯田信義、高比良タケ、尾田治子、岩木初實、畑島冨美子、岩本きみ、坂本文子、樋口愛子、水田トシ子、水田芳男、望月みち子、柿森フミ、樋口傳、峰芳子、藤野栄子、高比良要吉、馬渡はるね、丸尾キミ、前田兼市、馬渡喜八郎、岡野和子、山崎ちよの、栗崎キヌエ、梅津富江、中村益人、いけもとやちよ、吉川ミツエ、江越みち子(85歳以上、敬称略)

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