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イビウナ庵便り=中村勉の時事随筆=慰安婦とエリザベス・サンダースホーム=10月15日付け

ニッケイ新聞 2012年10月16日付け

 戦後、日本は米兵と日本女性の間に生まれた混血児問題に悩まされた。遂には、電車の上棚に新聞紙に包まれた捨て子が出てくる始末だった。岩崎弥太郎氏(三菱財閥創立者)の孫である澤田美喜氏が混血児たちの養育施設としてエリザベス・サンダースホームを立ち上げた、1948年のことだ。
 財閥解体で接収されていた神奈川県にあった岩崎家の別荘を苦労の末に買い戻し、建設した。澤田美喜氏は、孤児たちが成人になった時、父親らの国である米国に彼等の安住の地を求めたが不首尾に終った。1965年、成人した混血児たちが働ける場所を求めて差別のないブラジルにステパノ農場(アマゾンの第2トメアスー移住地)を建設した。
 韓国は、米国ニューヨークのタイム・スクエアーに「ドイツは謝罪したが、日本は太平洋戦争中に起こした慰安婦問題について謝罪していない」と大きな広告塔を出し、今年一杯宣伝するとしている。
 エリザベス・サンダースさんや澤田美喜さんは、天国でどんな話をしていることだろう。エリザベス・サンダースホームで成人した戦後孤児達(米兵の遺児)の引取りを拒んだ国のド真中にある広告塔前で、ニューヨーカーはNHKの街角インタビューに「実にケシカラン、日本は」と応えた。
 その昔、徳川家康は江戸を開くに当たり、大量の若い労働者を集めた。同時に、吉原を準備した。その後、江戸は栄え吉原は江戸文化の一部となった。戦後の東京には闇市と並んで赤線地帯が自然発生した。
 どちらも誇るべきことではないが、どんな状況でも生延びる人間の強さを感じさせた。勿論、闇米を拒んで自死を選んだ人、赤線を超えて立派な人生を歩んだ人、様々だ。私達は子供に「生きることが最優先事項だ」と教えた。
 私が一商社マンとして携ったブラジルのカラジャス鉄鉱石開発では、大規模事業に大量の労働者と彼等をマネージする管理者達を必要とした。ブラジルの僻地に於いてだ。その地には家族同伴の管理者住居地と若い単身労働者の住居地とがあったが、両者をはっきりと分離する必要があった。
 管理者家族たちの村を一種の檻で囲い、一般労働者村と距離を置き、遠からず近からずの隣村に赤線地帯をつくった。金曜日(賃金支払日)には若い労働者は大挙してそこに出掛けた。カラジャス開発時にもっとも儲けたのは風俗村(確かマラバと言った)の赤線宿ではないか、と噂された。今、カラジャスは世界最大の鉄鉱山として活躍している。
 人は誰しも他人に言えない秘密を抱えて生きていくものだ。消し去ることは出来ないが、消え去るのを待つことは出来る。慰安婦問題は消し去ることは出来ない、だから幾度でも謝れと偽善者はいう、戦争を知らない世代になっても。この手の問題は待つしかない。
 旧約聖書(出エジプト20:14)でモーセは「姦淫してはならない」と言い、新約聖書(ヨハネ8:10)でイエスは姦淫の罪を犯した女に「わたしも罰しない、おかえり」と言い、イエスの質問に、女は「石もて私を打てる者は、だれもいませんでした」と答えている。

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