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ニッケイ新聞OB会特別企画=勝ち負け抗争座談会=これが円売り事件の真相!?

ニッケイ新聞 2012年10月27日付け

 ニッケイ新聞OB会(田村吾郎代表)の企画により、勝ち負け抗争座談会が9月10日に本社会議室において行なわれた。本紙の前身であるパウリスタ新聞、日伯毎日新聞の創立期に両紙で記者をしていた水野昌之さんから勝ち負けに関する未公開情報を聞くことを主眼とするもので、期待通りのまったく予期しない新情報が得られた。ただし、ここで語られていることはあくまで当時の邦字紙幹部が話していたことを水野さんが聞き知った噂でしかない。それが本当であるかどうかは今現在において事実かどうかを検証する術はないが、少なくとも「一つの仮説」として後世の研究者にその作業を委ねるためにも、公にした方がいいと判断した。この座談会の発端となった『暁に向かって』を書いた伊那宏さん、OB会の田村代表(元『経済報知紙』代表)、本紙の深沢正雪編集長が加わった。円売り問題などに関して、あまりに衝撃的な〃噂〃の部分もあるが、その辺は事情を十分に酌量した上で読んでほしい。(編集部)

 【水野】田村さんから終戦当時の話を座談会で聞きたいと電話があって、ああそうですかと引き受けた。その頃の古い新聞記者だから、思い出話をすればいいだろうと思ったの。
 ところがその後、今度は伊那さんから電話があって「自分も出席を要請されている」って言う話を聞いて、ハッと思った。伊那さんは円売り問題に執着を持っておられて新聞にも2、3回書いたことがある。自信に満ちた推論を持っておられる方なんだなという印象があった。
 【伊那】水野さんとは去年の暮れ頃に知り合ったわけですが、近しくお話するようになったのは最近の話ですね。
 【水野】伊那さんがお書きになられた『暁に向かって』という本を送ってくださったので、それを昨夜読んだんです。
 【深沢】どう思われました?
 【水野】それを読んでね、私、今日来たくなくなった(笑)。
 【一同】ああー(笑)
 【深沢】どうしてですか?
 【水野】順番に話しますとね、私は1947年4月、22歳でパウリスタ新聞の記者になった。
 【深沢】その年の1月に創刊ですから、まさに創立期ですね。
 【水野】それでね、伊那さんの推理を読んでも感じるんだけど、当時も円売りの話をあちこちで耳にするわけ。私は雑報記者だからね。これはいい材料だと思って、一生懸命取材して書いたんだ。
 そしたら中林(編注=敏彦、通称〃カンちゃん〃後の日毎社長、パウリスタ創刊当時は中林が編集の実務を切り盛りしていた)が、「水野君、これはダメだよ」って言うわけなんだ。「どうしてですか」と聞き返したら、「とにかく、これは絶対ダメだ!」の一点張り。
 【田村】中林カン太郎さん?
 【深沢】ほお。
 【水野】そう、カンちゃん。「どうしてですか」って聞くと、「いつか説明するから。これだけは触れるな」という。
 その後、「円売りの元凶がサンパウロの水本だ」という噂も聞いてね、それを中林に言ったら、そりゃ、まあ怒ってね。
 【深沢】ほう、怒ったんですか。
 【水野】「あれほど触れちゃいかんっていう問題になぜ触れるか」というわけなんだ。
 【田村】しかし、その中林さんの親戚が円売りの被害者でしょう。
 【水野】その件は、また後で話すよ。
 【田村】私は中林さんから直に聞いているけどね、「自分のパレンチが円売りの被害者だ」と。
 【深沢】ほおー。

水本怒らせるとパ紙が潰れる?!

 【深沢】1947年の5月、水野さんがパウリスタ新聞で働き始めてちょうど1カ月目の時に、水本さんのジョアン・メンデス広場の事務所が警察のガサ入れ受けて、「水本さんが円売りの犯人だ」っていってブラジルの新聞に出ました。それでパウリスタ新聞にも翻訳が出ましたよね。
 あのときに、不思議なことにブラジルの新聞には実名入りで「水本が円売りの犯人」とデカデカと出たのに、ライバル紙のはずのパウリスタ新聞の記事には「水本」とは一言も書いてない。
 翻訳記事なのに、なぜか逮捕者の名前を仮名にし、ぼかしてある。今の話からすると、あの時、編集部内では「書くな」と言って、そうなったんですね。
 『狂信』(高木俊朗著、103頁)を見ると、当時、パ紙記者の増田健次郎がDOSP(政治社会局)の捜査官と連絡を取って、自ら囮になって現行犯逮捕される〃芝居〃まで打ってるんですよね。それなのに匿名報道した。ずっと不思議だったんですよね。

 【水野】それでね、どうして円売りの件を書いたらダメか、水本を怒らせたらダメかと聞いたんだ。「君、水本を怒らせたらね、パウリスタ新聞はつぶれるよ。俺たちは明日から失業だ。飯が食えなくなるんだ。分かってくれよ!」と、こういうわけなんだ。
 【深沢】ほう、そうなんですか。意外な理由ですね。
 【水野】こっちもいっぱしの社会部の記者だという誇りがあるからね。食い下がってカンちゃんに聞くわけだな。そうすると、仕舞いにはカンちゃんが黙っちゃってね。「いや、それなら君、社を辞めたらいいだろう」と。
 【田村】はあ。
 【水野】そう言うもんでね。俺もびっくりしてね。もうそれ以上、何も言わないんだ。だから僕はずっとその話には触れなかった。伊那さんの『暁に向かって』を読んで思い出したんだけど、中林が亡くなる前の4年半ほど、私たちは毎週土曜日にアルモッサ会というのをやってたんだ。
 【深沢】あのタバチングエラ街の日本食堂でやっていたというやつですか。
 【水野】そうそう。そのメンバーがね中林と内山(勝男=サ紙編集長)さん、それから南米銀行の山根剛、東京銀行の秋山桃水(高拓生)と、それに私の5人で。
 【深沢】すごいメンバーですね。
 【水野】4年半続いたんですよ。毎週土曜にアルモッサ食ってさ、2時間くらいいろんな話をするわけだな。
 そこでね、ちょっとみなさんの頭を切り替えてもらわないといけないのは、中林と内山さんはね。片やライバル紙の社長、片や編集長で紙面でも悪口を言い合うし、私生活でも敵対関係にあると思うでしょう、普通は。
 これがね、本当はものすごい親友同士なんだな、しかも戦前からの。戦前からの新聞記者同士なんだ。
 【深沢】ああ、ノロエステ時代、サンパウロ州新報の頃からですかね。
 【水野】中林は「内山の野郎」って言うんだな。普通に「内山」って言わない。必ず「の野郎」って言うんだ。内山さんは、僕たちの前で「カン太郎の馬鹿が」って言うんだな。絶対に「中林」とは言わない。
 【一同】ははは(大笑)。
 【水野】あの二人は一見、反目してると思うでしょう。でも、そうじゃないんだな。
 【田村】親しさが高じて。
 【水野】そうそう。それでね、中林が亡くなる前の4カ年半ほど、毎週アルモッサ会やったけど、この二人が中心なんだ。それで、今になってハッと気付くような事実のいろいろを聞かされたんだ。
 【深沢】ほお。
 【水野】そこで、伊那さんの話に触れるんだけど、なんかの話の時に、僕は「円売りの話を取材したら、カンちゃんは俺を馘にすると昔言ったじゃないか」と言ったら、「はははっ」2人して笑っているんだな。彼らはその当時の事情というか、イキサツというのをよく知っているんだ。
 僕が知っているのは、水本氏は戦前から熊本旅館っていう旅館やっていたということ。戦前はサンパウロはまだ日本人が少なかったから、奥地から出てきて訪日する人は、みんな熊本旅館に泊まって旅立った。ホテルなんかに泊まるっていう感覚はなかった。あそこ以外は、石原桂造さんがやってた常盤ホテル(コンデ街)ぐらいね。そこに泊まる人はちょっと垢抜けていた人、この二つしかなかった。
 水本の熊本旅館の方が客が多かった。そこから日本へ旅立って行くでしょう。そこで両替もするわけなんだな。
 【深沢】つまり、戦前は旅館で円の両替をしていたわけですね。
 【水野】そう。日本ではブラジルの通貨は認められないから、ここで換えなさいと水本氏が納得させるから、みんなそこで円を買っていた。
 【伊那】それは戦前、戦後の話?
 【深沢】戦前ですよね。
 【水野】例えば、こういう話があった。ある人がそこで円に換えた。そしたら戦争の雲行きが怪しくなって、今、日本に行くと、こっちに戻って来れなくなるかもという情勢になった。
 だから訪日をやめた。でも、せっかく円に換えたから、水本が「その円を俺が預かってやる。平和になった時に返してやるから」と約束し、その人もどうせ今は日本に行けないんだからと覚悟して、「水本さんに預けましょう」となった。
 で、戦後になるんだけど、円を預けたその人が水本さんに手紙書いても、なしのつぶて。何も返事がない。たまたま、話をつけてくれないかと依頼されて、僕が行ったわけです。
 その依頼人が僕の親戚筋だったので、相手が記者じゃまずいと思ったのか、水本さんは一口返事に全額を、伯貨に換算して返してくれたことがあった。
 【深沢】1947年の5月、水野さんがパウリスタ新聞で働き始めてちょうど1カ月目の時に、水本さんのジョアン・メンデス広場の事務所が警察のガサ入れ受けて、「水本さんが円売りの犯人だ」っていってブラジルの新聞に出ました。それでパウリスタ新聞にも翻訳が出ましたよね。
 あのときに、不思議なことにブラジルの新聞には実名入りで「水本が円売りの犯人」とデカデカと出たのに、ライバル紙のはずのパウリスタ新聞の記事には「水本」とは一言も書いてない。
 翻訳記事なのに、なぜか逮捕者の名前を仮名にし、ぼかしてある。今の話からすると、あの時、編集部内では「書くな」と言って、そうなったんですね。
 『狂信』(高木俊朗著、103頁)を見ると、当時、パ紙記者の増田健次郎がDOSP(政治社会局)の捜査官と連絡を取って、自ら囮になって現行犯逮捕される〃芝居〃まで打ってるんですよね。それなのに匿名報道した。ずっと不思議だったんですよね。

 【水野】それでね、どうして円売りの件を書いたらダメか、水本を怒らせたらダメかと聞いたんだ。「君、水本を怒らせたらね、パウリスタ新聞はつぶれるよ。俺たちは明日から失業だ。飯が食えなくなるんだ。分かってくれよ!」と、こういうわけなんだ。
 【深沢】ほう、そうなんですか。意外な理由ですね。
 【水野】こっちもいっぱしの社会部の記者だという誇りがあるからね。食い下がってカンちゃんに聞くわけだな。そうすると、仕舞いにはカンちゃんが黙っちゃってね。「いや、それなら君、社を辞めたらいいだろう」と。
 【田村】はあ。
 【水野】そう言うもんでね。俺もびっくりしてね。もうそれ以上、何も言わないんだ。だから僕はずっとその話には触れなかった。伊那さんの『暁に向かって』を読んで思い出したんだけど、中林が亡くなる前の4年半ほど、私たちは毎週土曜日にアルモッサ会というのをやってたんだ。
 【深沢】あのタバチングエラ街の日本食堂でやっていたというやつですか。
 【水野】そうそう。そのメンバーがね中林と内山(勝男=サ紙編集長)さん、それから南米銀行の山根剛、東京銀行の秋山桃水(高拓生)と、それに私の5人で。
 【深沢】すごいメンバーですね。
 【水野】4年半続いたんですよ。毎週土曜にアルモッサ食ってさ、2時間くらいいろんな話をするわけだな。
 そこでね、ちょっとみなさんの頭を切り替えてもらわないといけないのは、中林と内山さんはね。片やライバル紙の社長、片や編集長で紙面でも悪口を言い合うし、私生活でも敵対関係にあると思うでしょう、普通は。
 これがね、本当はものすごい親友同士なんだな、しかも戦前からの。戦前からの新聞記者同士なんだ。
 【深沢】ああ、ノロエステ時代、サンパウロ州新報の頃からですかね。
 【水野】中林は「内山の野郎」って言うんだな。普通に「内山」って言わない。必ず「の野郎」って言うんだ。内山さんは、僕たちの前で「カン太郎の馬鹿が」って言うんだな。絶対に「中林」とは言わない。
 【一同】ははは(大笑)。
 【水野】あの二人は一見、反目してると思うでしょう。でも、そうじゃないんだな。
 【田村】親しさが高じて。
 【水野】そうそう。それでね、中林が亡くなる前の4カ年半ほど、毎週アルモッサ会やったけど、この二人が中心なんだ。それで、今になってハッと気付くような事実のいろいろを聞かされたんだ。
 【深沢】ほお。
 【水野】そこで、伊那さんの話に触れるんだけど、なんかの話の時に、僕は「円売りの話を取材したら、カンちゃんは俺を馘にすると昔言ったじゃないか」と言ったら、「はははっ」2人して笑っているんだな。彼らはその当時の事情というか、イキサツというのをよく知っているんだ。
 僕が知っているのは、水本氏は戦前から熊本旅館っていう旅館やっていたということ。戦前はサンパウロはまだ日本人が少なかったから、奥地から出てきて訪日する人は、みんな熊本旅館に泊まって旅立った。ホテルなんかに泊まるっていう感覚はなかった。あそこ以外は、石原桂造さんがやってた常盤ホテル(コンデ街)ぐらいね。そこに泊まる人はちょっと垢抜けていた人、この二つしかなかった。
 水本の熊本旅館の方が客が多かった。そこから日本へ旅立って行くでしょう。そこで両替もするわけなんだな。
 【深沢】つまり、戦前は旅館で円の両替をしていたわけですね。
 【水野】そう。日本ではブラジルの通貨は認められないから、ここで換えなさいと水本氏が納得させるから、みんなそこで円を買っていた。
 【伊那】それは戦前、戦後の話?
 【深沢】戦前ですよね。
 【水野】例えば、こういう話があった。ある人がそこで円に換えた。そしたら戦争の雲行きが怪しくなって、今、日本に行くと、こっちに戻って来れなくなるかもという情勢になった。
 だから訪日をやめた。でも、せっかく円に換えたから、水本が「その円を俺が預かってやる。平和になった時に返してやるから」と約束し、その人もどうせ今は日本に行けないんだからと覚悟して、「水本さんに預けましょう」となった。
 で、戦後になるんだけど、円を預けたその人が水本さんに手紙書いても、なしのつぶて。何も返事がない。たまたま、話をつけてくれないかと依頼されて、僕が行ったわけです。
 その依頼人が僕の親戚筋だったので、相手が記者じゃまずいと思ったのか、水本さんは一口返事に全額を、伯貨に換算して返してくれたことがあった。

水本・Yの密約とは

 【水野】ここで話戻しますけど。土曜のアルモッサ会の話でね、今になったらカンちゃんも「話していいだろう」と言い、内山さんも「うんそうだ」と同意したことの一つに、いわゆる〃水本・Yの密約〃があるんですよね。それはね、水本を怒らせるとパウリスタ新聞がつぶれるという話の核心なんだ。認識派の新聞がつぶれるという話に発展しそうになったというのは、Yさんが水本氏に足をすくわれるような、とんでもないことをしていたからだという。
 【深沢】T農場の支配人で、戦後、文協会長をやった、あの人ですか。はあ。それは何ですかね。まったく想像もつかないですね。もしかして、そこで円売りとかが出てくるわけですか。
 【水野】違う。日本の軍部を騙して金を手に入れたことです。日本の軍部は戦争を予測していたから、大砲や銃器を製造するのに必要な鋼鉄を削る刃先に用いる工業用ダイヤモンドをそれこそ必死になって探していた。というのもダイヤの生産国であるアメリカはじめ同盟国が対日輸出を禁じていたから、当然、ブラジルも輸出しない。それであの時代、購入費用を移民船の船長にたくして、船長預かりの託送品として日本に持って帰ってもらったんだな。
 【深沢】正式には日本に輸出できないはずのブラジルの工業用ダイヤを、Yさんがこっちでこっそりと買って、移民船の船長に託して日本の軍部に送っていたわけですか。
 【水野】これはあくまで私が調べた話ではなく、アルモッサ会で内山さんがした話だよ。
 それで、Yさんだけだったら間違いも問題もなかっただろう。でも同じことを海興も、ブラ拓も頼まれていた。日本政府と関係していた三者がそれをやっていた訳なんだ。
 こっちでダイヤを売る側も、輸出禁制と分かっているから、おいそれとは売らないわけだ。日本人が買いに行くといろんな手を尽くして高く買わせようとする。ものすごく値段を吊り上げられる。でも、日本側は必需品だから、言いなり放題の値で買わされる。
 【深沢】なるほど。
 【水野】次の船が来るまでの間にダイヤを買い付けなくてはならない。今買った値段で次のダイヤが買えるとは思えないから、日本側に値段を上乗せして請求する。
 これはYの企業だけでなく、先にのべた二社も同じで、関わった三社がいわゆるカルテルを結んで、日本の軍部から法外な金額を求めていた。それが常習化されて何回も繰り返された。
 【田村】でも、それはあくまでも内山さんの証言だけ。
 【水野】そうなんだ。
 【田村】それを裏付ける物的証拠は?
 【水野】それを裏付けるものは…。私も何も知らないよ、事実かどうかは。とにかく、内山さんはそういっていた。
 【田村】彼(内山)自身は円売りには関与してないのか?
 【水野】関与してない。とにかく、工業用ダイヤの密売によって、そういう不埒な金が生まれた。ところが水本氏はその証拠を握っていたらしいんだな。特にYの企業の事実を。というのは、腹心の内山さんには水本氏は話していたから。そして内山さんはベンアミーゴの中林カンちゃんに漏らした。あの二人は喧嘩しているように見えたけど、本当の親友だった。共有した〃秘密〃は硬く守ったんだ。
 【深沢】でもね、伊那さんの本にも独自の推論が書いてありますけど、戦後、Yさんも円売りに関わっていた可能性があると推測する人は何人もいる。というのは、彼が中心になって資産凍結解除をした訳ですが、そのためにはリオに住むブラジル人政治家に頼みごとをしなければならない。莫大な工作資金が必要だったはずです。
 戦争中に資産凍結されていた当時、そんな莫大な資金があるわけがない。いったいどうやってその資金を作ったのか、という疑問は、ある程度、歴史に詳しい人がみな思う点なんですね。おそらく円売りをしてその資金を作ったぐらいしか、出元は考えられないという結論に行き着く。

 【水野】それはね、円売りじゃなくて、工業用ダイヤを取り扱った差額じゃないかな。中林も内山さんも言うんだけどね、日本の国民が命かけてさ、天皇陛下の赤子だとか言って戦ってるときにね、軍部の金をくすねるなんて、とんでもない話だ。
 【深沢】ある意味、円売りよりもっとひどい。確かに、そうでしょうね。
 【水野】円売りは、言ってしまえば、詐欺まがいの行為だけど、軍部の資金を誤魔化したとなると国賊だ、悪の質が違うというのだ。この工業用ダイヤの取り扱いは日本政府の息のかかった関係機関つまり、T、ブラ拓、海興みんな関わっていた、というのですね。
 もし水本氏が円売りの濡れ衣を着せられ、怒ってね、それを一つあばくと連鎖的に三つがやられるという危機感があった。戦後、この三つの代表的人物が認識運動のトップに立っていたからね。
 【深沢】本当にそうですね。
 【水野】そうなると認識運動というのは、とんでもない奴等がやっている運動だということになる。だから彼らが率先して旗を振っていたパウリスタ新聞は潰れる、というさっきの話になるわけだ。
 でも、大半の連中はそれを知らなかったから隠し通した。例えばコチアの下元すらも、そういう関係を知らなかったと彼ら(中林、内山)は言っている。
 【深沢】えっ、下元さんも知らなかったんですか。その辺のことは。
 【水野】そういう工業用ダイヤでくすねた金をポケットに入れていたとは誰にも漏らしていない。蜂谷専一も知らなかったそうだ。
 【深沢】そうなんですか! 蜂谷さんはYさんの右腕みたいな感じで資産凍結解除運動やっていたんですよね。
 【水野】ところがね、Yさんというのは頭がいいから、蜂谷さんを躍らせるだけ躍らせていた。蜂谷さんは「自分はこういうことをやった」と一生懸命に吹聴するんだ。
 【深沢】そうなんですか。

認識派の大物が関与か

円売りの主犯は?

 【深沢】Yさんが資産凍結解除の司令官みたいになって、蜂谷さんが自分とこのビアジャンテを使って、円を田舎の方に売りに行かせていたという説を聞いたことがあります。
 【水野】いや、円を売って運動資金を得るという、そういう姑息な考え方は、Yはしないって言うんだな。ゲスのかんぐりもいいところだ。中林と内山さんに言わせるとね。
 【深沢】そうなんですか。
 【水野】彼はインテリだ。円を売った金を回すとか、そんなことする人間じゃない。工業用ダイヤで行き掛かり上、懐に入れてしまったお金を、大儀名分のもとに吐き出す、それが資産凍結解除に回されたということはありえないこともない。いずれにしても工業用ダイヤの件が、水本氏にかぎつけられたから、どうにもならない。しょうがないと。
 【深沢】う〜ん。それが本当なら、たしかにぐうの音も出ないでしょうね。
 【水野】水本氏には2人腹心がいたの。一人は内山さんで、もう一人は藤井卓治。藤井卓治はもう本当に腹心中の腹心なんだ。サ紙が『熊本県人史』というの出したでしょ。あれ全部、藤井が書いたんだな。
 【深沢】あの分厚い立派な記念誌ですね。あれ、藤井さんが一人で書いたんですか!
 【水野】全部書いたの。あれで、「藤井は他県人だが自分の国なまりを失った」というくらいだ。みんな熊本弁になっちまったわけだ。普段の付き合いも全部熊本弁。あまり多くの熊本県人と話すもんだから、熊本県のどこに橋があって川があるかっていう小さいことまで全部知っていたっていうくらいなんだ。
 【深沢】ははは。へー。
 【水野】サンパウロ四百年祭で日本館作るときにね、協会を立ち上げたでしょう。そのときにね、失業状態だった藤井さんを使ってくれと、水本氏はYさんに頼み込んだという話しがある。
 【深沢】でも、藤井さんはサンパウロ新聞の営業部長だったんでしょう?
 【水野】営業部長は小林なんだ。
 【深沢】ああ、そうか。
 【水野】藤井を使ってくれと言われると、Yは断れないんだな。それで藤井を入れた。だから発展して、今度は文協会長になったとき…。
 【深沢】事務局長になったわけですよね。
 【水野】だから、Yは水本に生涯頭が上がらないと書いてある記録が散見されるわけだ。その裏側は、円売りじゃなしに、日本の軍部の大切な金を途中でねこばばしたという。それが真相だということを、中林と内山さんが言っていた。
 ボクはね、興味があったんだ。それが知りたくて馘にするとまでいわれたんだから。まだ若くて純情で、正義感溢れる新聞記者だったから、だから忘れないわけよ。だからそれを追求して聞くとね、そういうことになるわけ。
 今度はそれを自分が喋らないといけないと思ってね。伊那さんがお書きになったのを読んで、昨夜寝られなかったんだ、考え込んじゃって。
 【伊那】いやいや、大した証言ですよ。ダイヤの話なんて聞いたことなかった。
 【水野】それでね、この本に書いてある、円売りの金を救援物資の方に振当てるという推論もありえないと思う。円を売った姑息な金で、それを愛国心みたいな格好で、救援物資に切り替えるなんて、彼らの人格からしたらありえないとうんだ。
 【深沢】僕もどうかな、という感じね…。
 【水野】まあ、これが大筋で円売りに関する、私の見解ですよ。私が聞いた話なんだ。
 私が事実を握ってるわけではないし、証拠があるわけでもない。喋った二人はもうこの世にいないでしょう。でも私は二人に非常に信用されていたというのは事実なんだ。

大した金額ではなかった?

 【深沢】水野さんの話からいくと、円売りをする必然性がなくなってくるんですよ。むしろ、本当にただの詐欺というか。ちょっとした詐欺が、あちこちで単発的にあっただけ、みたいな。たいした金額じゃないですよね。
 【水野】何千万円とかね。今から60年前、コロニアの経済力というのは微々たるものなんですよ。ほんと何もない。例えばね、あの輪湖俊午郎氏が、戦後まもなく学生寮の資金集めをした時ね。
 【深沢】アルモニア学生寮建設を呼びかけた。
 【水野】あれを作るときに寄付が集まらないんだ。それで輪湖さんはわらじをはいて田舎をずーっと歩いてやっと金を集めていた。当時、1億とか何千万円もの円を買うような経済力が、勝ち組の人たちにあったとは思えない。
 【深沢】まあ、思い込みが激しい傾向のある人たちですよね。
 【水野】僕だって戦争の途中までは、日本は勝つと思い込んでいた。僕らも戦前は心からの軍国少年だった。それでも回りの情勢を見ていると、段々これは負けると判断するようになった。それだけのインテリ的なものがあった。
 勝ち組にはそれがなかった。農村労働、つまり百姓として食っていけたかもしれないけども、ブラジルで大金をためる余裕がある人はほとんど無かったと思う。
 【深沢】うーん。
 【水野】だから、そんな大きな金がブラジルの勝ち組の間で円として貯められていたとは思えない。それともう一つ、伊那さんの本にね、昭和新聞のことが出ますよね。なんでブラジル時報が載ってないのかと思う。
 これずっと読んでいると、ブラジル時報というのが全然出てこない。勝ち組を先導したのはブラジル時報なんですよ。
 【深沢】ああ、そうなんですか。

衝撃の工業用ダイヤ仮説

本当の勝ち組新聞は「伯剌西爾時報」

 【水野】そうなんです。昭和新聞というのは5、600から1千部も印刷部数出てないと思う。ブラジル時報はある時期では5千部も印刷してたんですよ。だから、資金凍結解除とかに円売り資金を利用するなら、断然、ブラジル時報の方が役に立つわけだ。
 【深沢】なるほど。
 【水野】そういう意味でブラジル時報と裏でつながって利用するなら、その新聞を叩いちゃいけないと思うけど、中林は平気でそれをやったのね。だから、そんなつながりはないと断言できる。
 パウリスタ新聞時代に「世を毒する悪徳新聞、ブラジル時報に非難高まる」ってね。5段抜きの見出しでトップでばーんてやってね。社長の黒石清作をめちゃくちゃに叩いた。
 カンちゃんは戦前、黒石清作んとこのブラジル時報で働いてたの。「日伯」じゃないの。だから黒石清作には特に目をかけられていた。
 それでやる。もしも円売りとかで体制側とつながっている動きがあったとすれば、叩くわけには行かないじゃないの。
 【深沢】でも、黒石さんと中林さんは、実は仲が良かったとか、そういうことはないんですか、もしかして。
 【水野】仲良くはない。絶交状態だった。馬鹿にしていた。中林はパウリスタの実質的な編集長だったしね、当時。
 それからもう一つ、内山さんと中林の話だけど、もし認識派のトップが、裏から勝ち組に関係していたという事実があったら、それこそつながっていた連中がまず狙われていたと思う。
 そして認識運動はめちゃくちゃになったと思う。
 最初にテロで殺された人に、野村忠三郎がいるでしょう。野村忠さん。
 【深沢】はいはい。
 【水野】彼は戦前からの記者で、中林や内山さんの親友中の親友なんだ。戦前に邦字紙が禁止されてから、総領事館の傍系機関である日語教育普及会の主幹になった。人格がすばらしくてね、皆に人気があった。
 その野村さんが凶弾に倒れたでしょう。あのときのことに関して、中林と内山さんが言うんだな。ああいうテロリスト本人を恨んだことはない。テロリストは上の命令を実行するだけ。
 でもね、上から命令した人間が誰か分かれば、俺たちが殺しとったと言うんだ。そういう話を二人がする。僕は皆分かるような気がするんだ。だから、認識派のトップが勝ち組と裏で関係していて円を売っていたとかということは絶対にありえない。
 【深沢】すると、その線からは円売りの話は全然出てこないんですよね。実際の円売りは、ちょこちょこっとした詐欺があちこちで散発的にあったというだけの話なんですかね、もしかして。
 【水野】大口の組織的な円売りというのは、なかった。
 【深沢】組織立った円売りと言うのはなかったというわけですね。水本がやったのは、戦前からの熊本旅館の続きで売ったら、それがたまたま捕まったという。香山六郎が編纂して、斉藤広志とかも書いた『四十年史』ってあるじゃないですか。あれを読んでも、円売りの話がほとんど出てこないんですよ。
 【水野】そうでしょう。
 【深沢】あれは48年か49年くらいにできてるんですけど、まだ勝ち負けが収まっていないような頃に書かれていて、かなり認識派のことも批判してるし、勝ち組のことも批判してるしで、何を書いてもおかしくないような論調なんですよ。だけど円売りの話はほとんどない。
 多分、大事件として認識するほどのものではなかったと思われていたと考えられますよね。

 【伊那】でも、私も何人か被害者を知ってますよ。
 【水野】私も被害者を知っている。先ほど田村さんからの話にあった中林の親戚の中熊さんよ、彼も円を買わされてる。中熊さんは、兄弟が中林の奥さんの姉さんと結婚してる。だから中林は「あの馬鹿やろう」なんていつも話してましたよね。だからそういうことはよく知ってますよ。
 【深沢】まあ、いたんでしょうけど、いわゆる何億円とかいうような組織的な大犯罪ではなかったと。
 【水野】せいぜい何百万円とかの程度ね。

後世の検証に委ねる

完全犯罪としての円売り

 【深沢】ちょうど1950年とか51年っていうのは、戦勝派の人たちが日本へ行く船が出るたびに、100人とか150人とかが帰国している時期なんですよね。だから、日本へ帰る人たちは当然円を買って帰った。つまり、円を買って持って行ってるはず。
 おそらくコロニアで売られた円はそういう日本に行く人たちが持って行った。でも、日本で使えないわけですよね。で、恥ずかしくて言えない。日本でそれを捨てて、それきりブラジルに証拠が残らない完全犯罪になったという可能性もありますね。

 【水野】私の知人にこんな男性がいる。その人が子供だったころ、兄弟5人おいて、オヤジさんは日本が勝ったというので、土地を売ってサントスに行って日本行きの船を待っていた。けど当然、来ない。仕舞いに家族は「だまされた」と気付いた。
 ところが親父さんは信念が強いから、「俺は一人でも日本行って確かめてくる」と言い張った。それで彼はオランダ船に乗って日本にひとりで行って、敗戦を知って帰ってきた。だから自分等は悲惨な今日までの道を辿ってきたというんだ。会う度にそういうふうに話すよ。
 【深沢】そのお父さんはきっと円を買って持って行ったでしょうね。
 【水野】でしょうね。土地を売ったのだから。円売り事件に関しては実際の被害にあった人は、恥ずかしくて言えなかったということも。
 【伊那】そうでしょうね。
 【深沢】それきり口をつぐむ…。

勝ち組と負け組の違いはどこに?

 【深沢】認識派の人は商店やったりとか、いろいろ目先が利く人が多くてお金持ってる。勝ち組の人は比較的に一般大衆が多い。その階級格差みたいなのがあって、うらやましいみたいな。奴らだけうまい汁吸いやがってみたいな気持ちが元々あって、それが勝ったか負けたかという本来はわずかな一点の違いで、まるで決定的な違いのようになってしまった。
 【水野】経済力がなくて、先が見えないような人が付和雷同して広がって勝ち組がどんどん増えたのかな。私はノロエステに居たころ、負け組として村八分になっていろいろやられたから、執念深いといわれるかもしれないが、今でも彼らには敵愾心をもっている。
 【田村】しかしね、彼らはそれだけの教育を徹底して受けたんですからね。
 【水野】こっちも受けましたよ、徹底してね。日本では軍国少年だったんだし。
 【伊那】性格的にそういうことを信じやすいタイプというのはけっこういますよね。頭いい人でも勝ち組に入ったりしてるし。
 【深沢】勝ち組だった人と認識派だった人の考え方というのは、そんなに差はないと思います。水野さんが軍国少年だったと言っている通り。ただ何が違うかといったら、敗戦を認めるあきらめの良さの程度の問題。それが良かったか悪かったかだけの違いなのに、当時はまるで「民族が違う」ぐらいの大きな差として立ちはだかっていた。考え方は一緒なんだけど、物事を判断する態度が少しだけ違うという感じですね。
 【伊那】勝ち組の人はシンプレスなところがあるわけです。信じやすいというか単純というか。
 【深沢】考え方の問題ではないような気がする。性格というか態度とかの違いですよね。
 【田村】情報の仕入れ方もあるだろうね。
 【深沢】そうですね。
 【田村】あまりラジオ聞かなかったとか。
 【田村】とにかく、今日話したような話がいっぱいあったんです。タバチングエラ街のあのアルモッサ会では。
 【田村】アルモッサ会のときの山根さんは、どういう立場だったんですか?
 【水野】Mがこういうことやっていたという話題が出ると、「うーん。内山、お前どうやってそれを見つけた?」とかね、「どうして知ってる?」とか訊いていた。
 内山さんにやられると、山根さんは自分の親方の悪口言われるものだから、一生懸命になるわけよ。そうすると、内山がこうだこうだって、いろいろな話をすわけよ。そのたびに、内山が「なぁカンちゃん、あのときはこうだったよな」とか言うと、中林は「うんそうだ」と。阿吽の呼吸でみんな分かっているんだな。
 【田村】しかしその中林さん自体ね、私が『週刊時報』をやっている時代に水本批判を書くと、中林さんは同調して日伯毎日の投書欄にけっこう批判をお書きになりましたよね。何回か。
 【水野】そうそう。中林は内山さんとは気脈が通じていたが、水本氏のことは大嫌いだった。
 【深沢】なるほど。でも円売り事件が大きく騒がれ始めたって言うのは、田村さんと一緒にやっていた沖本磯満さん辺りが火をつけたんでしょうね。「円売り事件のボスは水本だ」って繰り返し書いて、70年代くらいにコロニアに印象付けた。
 【水野】沖本がさかんに書いていた頃、中林が鼻先で笑っていたね。「何にも知らないくせに。馬鹿が」って言ってね。
 【田村】それでいて、水本批判の記事をお書きになりましたね。
 【水野】そうそう。
 【深沢】沖本さんが大事件としてコロニアの印象に定着させたけれども、実際の金額としてはたいしたことはなかった。事実として存在したが、大事件であるかと言うと、それほどでもなかった、ということですかね。
 【田村】でも、隠れた被害者というのはけっこういるはずだぞ。
 【深沢】だから、僕も一生懸命に被害者を探しているんですけど、もういないんですね。もし今でも円売りの被害者がいたら取材したいですね。
 星野豊作さんの『拓魂100年』(明るいコロニアを考える会、199年)とかは、円を売らせようと加藤拓治と負け組幹部が裏でつながっていたんじゃないかとを一生懸命に疑ってますよね。

 【水野】勝ち負けの頃に新聞社の内部から見ていた経験と、中林という良い親分がいたこと、内山という先輩がいたことは、僕にとって大きかった。その手の話を聞いてるとね、例えば玉井禮一郎の書いた『拝啓、ブラジル大統領閣下!!』(たまいらぼ、84年)、猪股嘉雄著の『空白のブラジル移民史』(たまいらぼ、1985年)とか、高木俊朗が書いた『狂信』(朝日新聞、1970年)とか読んでもね、全然興味がわかないんだな。
 この程度しかものが分かっちゃいないんだなっていう感じでね。自分でその時代の動きを体験して知っているから。
 ま、一応これで一区切り。伊那さんの推理説を読ませてもらったから、昨夜寝ないで考えたあげくの私の見解だ。
 繰り返すようだが、私が今日しゃべったことは全部、中林と内山さんが言っていた内容ですよ。
 【伊那】どうやら、Yさんは円売りに関しては大した役割は演じてないみたいだね。
 【深沢】水野さんの今日の話からすれば、円売りというのは実は目くらましみたいなもので、実際は工業用ダイヤ問題こそが負け組幹部が隠したかった事実ということになりますね。
 みなが「円売りは大事件」だと思っている限りは、誰もそっちの可能性は考えもしない。事実とは違う方向にコロニアの興味をそらすための、〃撒き餌〃みたいなもんですかね。

【水野】ともかく結論的にいうと、工業用ダイヤにまつわるお金の件が表沙汰にならず、認識運動がまがりなりにも浸透して平穏無事に過ごせたのは、中林、内山のが盟友で日系社会のため「秘密」を守り通してきた功績による、と思う。新聞人が社会的な大きな秘密に頬かむりして見て見ぬ振りをするのは、地獄の責めに堪えるようなものだった、と理解している。この二人によって戦後の日系コロニアはある意味で救われたといえるだろう。
 【深沢】水野さん、本当に貴重な話をありがとうございました。事実の検証は後世に委ねましょう。


水野昌之(愛知県、88)。1933年、9歳のとき家族で渡伯。47年4月に創刊まもないパウリスタ新聞に入社。2年後に日伯毎日新聞創立に関わり、2年ほど勤めた後、退社。ブラジル日本商工会議所に入り『ブラジル経済年鑑』を執筆、刊行のため1957年に日本へ。その後はアチバイアへ移り40年農業に携わる。『バストス25年史』『アチバイア文協50年史』を執筆・編集。

伊那宏(本名・菅沼東洋司、長野県、70)。1960年コチア青年として来伯し、サント・アマーロに入植。65年に出聖、画家、商業デザイナーとして活動し、複数の文芸誌も主宰するなど執筆・編集業も活発に行う。著書に『伊那宏創作集』(全7巻)、評論集『暁に向かって』など。

田村吾郎(岡山県、80)。パウリスタ新聞・日伯毎日新聞OB会会長。1960年に力行会の派遣で渡伯、翌年出聖しパウリスタ新聞記者、社会部長を経て退社。76年に週刊時報創刊、次に90年にブラジル報知創刊し、昨年5月から休刊している。

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