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〝真実〟を巡る倫理とは=「言う」と「言わない」=軍政時代とメンサロン=情報提供と黙秘の狭間で

ニッケイ新聞 2013年1月1日付け

 ルーラ政権のナンバー2だったジョゼ・ジルセウ元官房長官を閣僚の座から失墜させたメンサロン事件。その公判中の11月29日付けエスタード紙に、褒賞付きの通報や情報提供と倫理との関係を問い、「軍政下での情報提供は倫理に反していたが、民主主義では真実を話す事は倫理に反するとはみなされない」という内容のコラムが掲載された。

 同紙には、メンサロン事件の発覚、起訴に至るきっかけとなった情報提供者、ロベルト・ジェフェルソン元下議に減刑処置が施された事が記載されていたが、問題のコラムは同じページの下の方にあった。

 褒賞付きの通報とは?

 元官房長官や労働者党(PT)幹部らが政府支援と引き換えに、小遣い(メザーダ)と言うには高額な月3万レアルを議員らにばら撒き、メザーダならぬメンサロンと呼ばれた汚職事件。伯国史上初の元官僚や現職議員断罪も起きた同事件は、連立与党のブラジル労働党(PTB)元党首のジェフェルソン氏が、自分も賄賂を受け取ったと自白して、情報提供した事がきっかけで明るみに出た。
 メンサロン裁判の関心事の一つは、「ホワイトカラー」と呼ばれる元官房長官らが有罪となるか否かで、元閣僚にも実刑判決という結果は、国外でも大々的に報道された。
 他方、事件発覚、解明のきっかけを作り、PTB党首も辞任、ガン闘病でやせ細り、自宅テレビで公判の様子を見守ったジェフェルソン氏に対し、減刑処置がとられるかも裁判後半の関心事の一つだった。刑の算定最終日の11月28日に、当初考えられた刑期より約3分の1短い7年と14日の実刑判決で、夜だけ刑務所に行けばよいセミ・アベルトとなった事が、通報や情報提供への褒賞である事は誰の目にも明らかだった。

 通報者にはいつでも褒賞が付くのか

 事件発覚のきっかけとなる自白や通報は、いつでも褒賞付きとは限らない。2011年に発覚したスポーツ省絡みの汚職や、11月23日に逮捕劇や家宅捜索が行われた連警のポルト・セグーロ作戦も、金を受け取った人物が警察や検察に情報を提供している。しかし、通報者や情報提供者への減刑や免罪は必ずしも保証されておらず、内通したがゆえにむしろ命の危険を伴う事もある。
 メンサロン裁判を例にするならば、裁判後半の刑の算定で40年超の刑を科せられた企業家のマルコス・ヴァレリオ氏。彼が減刑を狙い、「ルーラ前大統領も事件に関与していた」「聖州サントアンドレ市にはダニエル元市長殺害後も金が送られた」と話し始めた時、「あいつはいつも賭けをやる」とか「苦し紛れの詭弁」との批判が飛び交った。
 大統領府や国家総弁護庁など、連邦政府に直結する機関での汚職の摘発が続くポルト・セグーロ作戦。そこでは、国家水資源庁理事から頼まれた書類を作った連邦会計検査院職員が、10万レアルを手渡され、その金を連邦警察に届けると共に汚職を告発。告発者は2008年にサンパウロ連邦大学学長を退任に追い込んだ不正捜査にも関与し、法律関係の書物も執筆している人物だ。11月29日付フォーリャ紙には、10万レアルを渡され、「そんな金は受け取れない」「なら、この本を買わせてくれ」「お前なんかに売る本はない」と言い合った事や、「私は聖人ではないが汚職に手を出す人間でもない」との言葉が書かれている。
 11月に陪審裁判が始まったエリーザ・サムージオさん殺害事件では、フラメンゴ元キーパーでエリーザさんの息子の父親であるブルーノ被告が殺害を命じたと、親友で私設秘書でもあった通称マカロン被告が供述し始めた。「お前が罪を全部被ってくれ」と頼まれていたはずの同被告は、供述後に殺されるのを恐れているという報道もあったが、親友を裏切ったかに見える供述が真実か否かは、まだ明らかになっていない。

 軍政下での情報提供は

 メンサロンやポルト・セグーロ作戦での通報と状況がまるで違うのは、軍政下に政治犯として捕まった人達にとっての情報提供だ。軍政時代は当局から拷問され、命の危機に直面しても、情報提供を拒み、若い命を落とした人も多い。それだけに、誰がゲリラで協力者は誰といった情報を流せば民主化運動の敵とみなされるのは当たり前で、活動家の風上にも置けないと烙印を押され、命を狙われても当然だった事だろう。自責の念にさいなまれ、生き延びるためには身を隠すしかなくなったはずだ。
 メンサロン事件で投獄が決まったジルセウ被告が、軍政時代に投獄されても口を割らず、迫害に耐えて開放された人々の1人であった事が、同事件の公判中も減刑申請の理由に使われた事も併記しておくべきだろう。
 真実を語る事が許されない状況もあれば、真実を語る事が賞賛される時もある。倫理観が時代や状況で変わりうる事は認識していたつもりでも、現実に繰り広げられる裁判と軍政時の比較をされると、やはり考え込まざるを得ない。
 メンサロン裁判をきっかけに、汚職への取組み方や汚職は罰せられないという通説が変わるか否か。真実を語る事が善か否かは時代や状況によっても変わることは認めざるを得ないとしても、「隠れている悪はいつか明るみに出る」という倫理的な期待は、今の伯国で通用するのか——という難しい問いが待っている。

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